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釣り竿とおもり

 僕が釣り竿をめぐる小事件を引き起こしたのは、小学一年の春の終わりごろだった。
 当時、僕は埼玉県の越谷市で暮らしていた。小学校入学をまえに、都内の古びた借家から、越谷の小さな中古住宅に引っ越してきたのだ。けれどもすぐに父の転勤があったので、この地で暮らしたのは小一の一学期、四ヶ月ほどに過ぎなかった。
 越谷の家で、僕は二階のふすまを開け閉めしては車掌のアナウンスをまねて、東武伊勢崎線ごっこをしたものだ。沿線の駅名をずいぶんと覚えた。
 家は住宅地にあったものの、少し歩けば田んぼが広がっていた。あたりを流れる小川の岸辺にノビルという野草が生えていて、白く小さな球根が食べられるというので引っこ抜いて持ち帰ることもあった。味噌をつけて食べると、ネギに似た味がした。
 小川や用水路にはザリガニが棲んでいた。大柄で立派なはさみを持ったやつは赤黒く、小柄なのはくすんだ褐色だった。
 あるとき、近所の子たち何人かで、ザリガニ釣りに出かけることになった。そこには二歳年上の姉もいたし、リーダー格の小五女子、Aさんもいた。
 道具を分担して持つことになり、僕はAさんから釣り竿と鉛のおもりを託された。ほかの子たちもバケツや網などを持ち、一行は出発した。
 道の途中で僕はふと、釣り竿を持って歩いているということが恥ずかしくなってきた。いまから思えば何も恥ずかしいことはないのだけれど、背丈よりも長い棒を掲げて、自分はいまから釣りに行く、と触れてまわっているような感じがして落ち着かなかったのだ。僕は通りかかった小さな橋のたもとに釣り竿をそっと置くと、そのまま歩きつづけた。
 小学校のそばの用水路のほとりに着いて、僕らはここで釣りを始めるはずだった。けれども僕は釣り竿を持っていない。そのことに気づいたAさんに向かって、橋のところに置いてきてしまった、と正直に話した。なぜ置いてきたのかということまでは言わなかったし、言おうとしてもうまく説明できなかっただろう。僕らは橋のたもとまで引き返した。
 釣り竿は、なかった。持ち去った人がいたのだろう。けれど、置き去りにした僕に責任があることも確かだった。Aさんは僕に訊いた。
「おもりは、持ってる?」
 僕はポケットからおもりの入ったケースを取り出した。
「偉い。おもりをなくさなかっただけでもよかった」
 Aさんはそう言った。僕は釣り竿をなくしたことを叱責されず、おもりをなくさなかったことを褒められたのだ。
 あのときのAさんほどの寛容さを、僕は持ち合わせているだろうか。大人になってからも、当時を思い返してそんなふうに自問することがある。

掲載誌 : 『小説 野性時代』二〇二〇年四月号(三月十一日発売)
[掲載誌の詳細]https://www.kadokawa.co.jp/…

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