朝刊小説「大観音の傾き」連載を終えて、エッセイを寄稿
『河北新報』10月2日付朝刊の文化面に、エッセイを寄稿しました。「連載を終えて」という題をいただき、書いたものです。見出しは〈朝刊小説「大観音の傾き」連載を終えて 山野辺太郎さん 脳裏に大仏と支え合う姿〉。
一部を引用にてご紹介します。
二〇一一年の秋、仙台の仮設住宅地をワゴン車でまわる移動図書館に、スタッフとして参加した。東京で会社勤めをしていたものの、その活動に一週間だけ時間を振り向けることが許されてのことだった。その年の三月に起こった東日本大震災の惨禍は、震源から離れたところに暮らす人々の心にも痛みをもたらしていた。まして東北、仙台は、僕が大人になるまでのあいだ少なからぬときを過ごした土地だった。
(中略)
いつしか、仙台の丘陵地に立つ大観音のことが、きたるべき小説の登場人物として頭に浮かぶようになっていた。あのおかたは丘のうえにいて、大きな地震のあったとき、海から陸地へとせり上がってきた黒い水のかたまりを身じろぎもできずに見つめていた。直接ではなく映像を通して触れた者も含め、なすすべもなく目撃者となるしかなかった人々の痛みに通底するものを、あの巨大な体に抱えて立ちつづけているのだ。
河北新報オンラインでも公開されており、無料の会員登録で全文が読めます。
朝刊小説「大観音の傾き」連載を終えて 山野辺太郎さん 脳裏に大仏と支え合う姿(河北新報オンライン)
また、同日の「デスク日誌」でも、「連載小説」と題して「大観音の傾き」を取り上げていただいています。ご執筆は同紙文化部の渡辺ゆきさんです。
こちらも一部を引用にてご紹介します。
小説は東日本大震災や地方都市の地域事情に触れる部分も。主人公の心模様をたどるうち、仙台と二重写しのもう一つの現実を共に生きた気分になった。
市在住の画家樋口佳絵さんの挿絵は荘厳でポップな大観音をはじめ、タンポポの綿毛をふわりと描く画力に魅せられた。24話の海辺に立つ主人公を見て以降、小説を届け終える安堵感とも喪失感ともつかない不思議な気持ちになっている。
デスク日誌(10/2):連載小説(河北新報オンライン)