山野辺太郎のウェブサイト


報道・論評

山野辺太郎の小説などへの報道・論評

『クロワッサン』で『恐竜時代が終わらない』が取り上げられました

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 『クロワッサン』7月25日号(7月10日発売)の「本を読んで、会いたくなって。」のコーナーに、『恐竜時代が終わらない』の著者インタビュー記事が掲載されました。文は鳥澤光さん、写真は石渡朋さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

 中生代から現在まで、いくつもの時間の断片が重ねられ、小説の言葉によって地球史が貫かれ不意につながる『恐竜時代が終わらない』。遠く時を隔てて存在した恐竜という存在に、「同じ地球に生きたもの」として幼い頃から親近感を抱いてきたという山野辺太郎さん。小説を書くにあたって最初にやってきたのは、種の違う恐竜同士が思いを通わせるイメージだったという。
「そこから、エミリオとガビノという男の子たちを結びつける感情や、マレナとフリオという2匹の恋のゆらめきが浮かんできました。それを語る恐竜と、さらにそれを先へと語り継ぐ人間もやってきて、マトリョーシカのような構造を持つ小説になっていったんです」

 Croissant No. 1121(マガジンハウス)
 https://magazineworld.jp/croissant/croissant-1121/

『東京新聞』文芸時評の「最後のドッジボール」評

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 『東京新聞』2024年6月26日夕刊の文芸時評で、「最後のドッジボール」が取り上げられました。評者は伊藤氏貴さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

山野辺太郎の新刊『恐竜時代が終わらない』(書肆侃侃房)の巻末の書き下ろし短編「最後のドッジボール」の父と息子の関係がなんとも心温まる。もし自分に息子がいればぜひとも読ませたものを。

 こちらの記事は『北海道新聞』にも掲載され、下記のサイトにアップされています。

 <文芸時評>現在の文学の「家族」 「解体」から「共生」へ 新たな姿も 伊藤氏貴(北海道新聞)
 (ウェブ上では、サイトの会員向けコンテンツとして掲載されています)
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1030288/

『北國新聞』『週刊新潮』『週刊読書人』『産経新聞』に『恐竜時代が終わらない』の書評が載りました

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 『北國新聞』6月16日付朝刊、『週刊新潮』6月27日号〔20日発売〕、『週刊読書人』6月21日号、『産経新聞』6月23日付朝刊にて、『恐竜時代が終わらない』の書評が載りました。
 一部を引用にてご紹介します。

 記憶され語られるあいだ、死者は生者の心の中で生き続ける。そのことを思い起こさせる1冊である。
(『北國新聞』杉山欣也さん評)

 誰かに語られる話は小さな歯車に過ぎない。しかし、それに噛み合った者たちの生き方を変え、だから死に方も変えてしまう。誰かの口が回る限り、力は消えない。
(『週刊新潮』乗代雄介さん評)

 本書を読むと、この「食う」ということが、相手を取り込み一体となって共に延命する愛の行為に見えてくる。
(『週刊読書人』九螺ささらさん評)

 恐竜たちの繊細な感情の揺らぎも、実際に見たかのように話す。ありえないのだが、物悲しくもおかしみがある語り口に引き込まれ、読んでいるうちに不思議な真実味も感じられてくるのだ。
(『産経新聞』石井千湖さん評)

 『産経新聞』の書評は下記ページにて全文が公開されています。

 記憶を巡る奇想小説 『恐竜時代が終わらない』山野辺太郎著(産経新聞)
 https://www.sankei.com/article/20240623-VMAP4NBUCRPYXMDU2EYZZEZQC4/

『毎日新聞』で『恐竜時代が終わらない』が取り上げられました

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 『毎日新聞』6月17日付夕刊の文化面に、『恐竜時代が終わらない』の著者インタビュー記事が掲載されました。ご執筆は同紙記者の関雄輔さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

「思い出すこと」と「想像する」こと。その二つの行為は、実は表裏一体なのかもしれない。作家の山野辺太郎さんは、新刊『恐竜時代が終わらない』(書肆侃侃房)に収めた2編の小説を書きながら、そんなことを考えたという。
(中略)
 山野辺さんは、記憶を「過去に固定されているものではなく、思い出す現在において生成されるもの」と捉える。(中略)
「人間と同じように、記憶も絶えず変化していく。“記憶という生き物”を扱った小説と言えるかもしれません」
(中略)
 父との思い出を書き残すにあたり、小説の形をとったことについて、「他人の記憶なら、『その人はこう言った』とドキュメンタリー風に書くこともできますが、自分自身の記憶を扱おうとすると、どうしてもその不確かさに向き合うことになる」と説明する。「そもそも記憶って、想像力の働きを借りなければ取り出せないと思うんです」

 Interview 山野辺太郎さん(作家) 「記憶」は変化する生き物 新刊『恐竜時代が終わらない』(毎日新聞)
 (ウェブ上では、サイトの会員向けコンテンツとして掲載されています)
 https://mainichi.jp/articles/20240617/dde/014/040/001000c

『河北新報』に『恐竜時代が終わらない』紹介記事と、連載小説「大観音の傾き」掲載

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 『河北新報』6月16日付朝刊の読書面に、『恐竜時代が終わらない』の著者インタビュー記事が掲載されました。ご執筆は同紙記者の菊地弘志さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

「命の循環の中に生があると考えれば、誰もが逃れられない死をどう捉えるのかも問われる」
(中略)
「一つの点だけで人間を捉えるのではなく、受け継いだものを次の世代に手渡す営みを描きたかった」
(中略)
 職業を転々とし、将来の展望も開けない謙吾の現実の人生は報われていないようにも映る。自分を突き放すような謙吾のペーソスあふれる語り口には、痛みそのものよりも痛みを抱える人間の滑稽味が浮かぶ。
「語るに値しなかったはずのものを人前で語ることで自分の生に意味が見いだされ、本人は救われているのかもしれない」
 創作に対する姿勢を「自分の中で子どものような発想を呼び覚ますところがある」と分析。科学的につじつまが合わない方がむしろ面白いという。「その分世界を広く眺められる。壮大な『ほら話』のどこかに真実を見いだしてもらえたらうれしい」

 インタビュー記事のとなりのページには、連載中の小説「大観音の傾き」第11回が載りました。オンライン版でも、無料の会員登録で全文が読めます。

 〈大観音の傾き(11)〉わたしたちは見つめ合っていた 山野辺太郎(河北新報オンライン)
 https://kahoku.news/articles/20240615khn000020.html

 ほかの回も、下記のバックナンバー一覧から読めます。

 【ニュース】大観音の傾き(河北新報オンライン)
 https://kahoku.news/tag/大観音の傾き

『Kappo 仙台闊歩』で『恐竜時代が終わらない』が取り上げられました

投稿日:

 

 『Kappo 仙台闊歩』7月号(6月5日発売)に、『恐竜時代が終わらない』の著者インタビュー記事が掲載されました。ご執筆は荒蝦夷・土方正志さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

 突拍子もない設定ながら、どこかとぼけた味わいの岡島のひとり語りを読み進めれば、親子とは、記憶とは、継承とは、あるいは生と死とは生命の循環とは……などなどさまざまな想念が読む者の脳裡に浮かんでやまない。
「前の世代からなにかを受け継いで次の世代に引き渡していく繋がりのなかに人間はあると考えると、切り離された孤独な存在ではない。年齢と共にそんな繋がりを意識するようになりました。孤独の苦しみから抜け出す道筋がそこにあるのかな、と。そんな思いを小説にするならなるべく大きなスケールにしたほうがおもしろいじゃないですか。親子関係を超えて、恐竜時代から続いている生命を感じてみたらどうなるか。まあ、ほら話です(笑)」

 Kappo 仙台闊歩 Vol.130 2024年7月号(プレスアート)
 https://kappo.machico.mu/books/9582

「河北抄」で「大観音の傾き」が取り上げられました

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 『河北新報』6月4日付夕刊1面のコラム「河北抄」にて、「大観音の傾き」が取り上げられました。仙台大観音の造立以来の歩みや、生みの親である菅原萬氏の思いとともに紹介されています。
 一部を引用にてご紹介します。

 本紙日曜朝刊に連載中の小説『大観音の傾き』は、仙台市泉区の仙台大観音がモチーフ。仙台出身で東京在住の作家山野辺太郎さん(48)が、市職員や住⺠を巻き込んだ騒動を軽妙に描き出す。
 大観音はバブル経済が終幕を迎える1991年に完成した。(中略)
 丘陵地に出現した高さ100メートルの巨像は唐突な印象を与え、地元の反応は必ずしも歓迎ばかりでなかった。(中略)
 外国人観光客の人気を集めるなど徐々に認知度も高まり、三十数年がたって大観音の胸中にも迫る小説がお目見えした。内なる声をしかと聞きたい。

 河北抄(6/4):本紙日曜朝刊に連載中の小説『大観音の傾き…(河北新報オンライン)
 (ウェブ上では、サイトの会員向けコンテンツとして掲載されています)
 https://kahoku.news/articles/20240604khn000020.html

『週刊文春』に『恐竜時代が終わらない』の書評が載りました

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 『週刊文春』5月30日号(5月23日発売)の「文春図書館 今週の必読」コーナーに、『恐竜時代が終わらない』の書評が載りました。評者は左沢森さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

《恐竜時代の出来事のお話をぜひ聞かせていただきたい》。世界オーラルヒストリー学会の蓮田由理子なる人物から、奇妙な依頼を受けた岡島謙吾。恐竜時代の出来事というのは、かつて謙吾の父が夜な夜な語り聞かせてくれたジュラ紀のストーリーだ。父もまたその父から聞き繋いだという太古から伝わる物語の噂は、なぜか遠く九州までも届いているそう。謙吾は都内の学会でわずかな聴衆に向けて語り始める。ブラキオサウルスのエミリオ、アロサウルスのガビノらが登場する魅力的な恋物語は、謙吾自身が「絶えず修繕を重ね」たと言うように、語り手の個人史をどこか反映しているように見える。
 最後にどんな結末が待っていようと、こうして恐竜時代の記憶は終わらずに、引き継がれていくことになる。恐竜が恐竜を食べるように、血や肉になり栄養分となって種族を超えていく。(中略)
 冒頭の時点には戻らずに、どこか投げっぱなしに終わっていくラストがいい。山野辺太郎の語りは物語的円環の中に閉じることなく、誰かに語り直されることを待っているようだ。

 「文春オンライン」の下記ページにて全文をお読みいただけます。

 父が夜な夜な語り聞かせてくれた「魅力的な恋物語」そこに現れた“ごく個人的な記憶”とは…/左沢森が『恐竜時代が終わらない』(山野辺太郎 著)を読む〔文春オンライン〕
 https://bunshun.jp/articles/-/70993

『河北新報』に連載開始のインタビュー記事が載りました

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 『河北新報』4月3日付朝刊の文化面に、連載小説「大観音の傾き」開始にあたってのインタビュー記事が掲載されました。見出しは「孤独に屹立 自分と重なる」。ご執筆は同紙記者の菊地弘志さんです。
 山野辺の発言箇所の一部を引用にてご紹介します。「なぜ仙台大観音を取り上げたのでしょうか」という質問に答えた箇所です。

「市西部の新興住宅地に引っ越したのが高校に入った1991年春。その秋に大観音が完成し、そう遠くない距離に大観音の姿が見えました。山の中、ニュータウンの片隅に、巨大な白い像が屹立しているのです。強烈な異彩に戸惑いつつも目を離せませんでした」
「本来ありがたい存在なのでしょうが、違和感を伴って圧倒的な大きさで視界に入る大観音に、この世になじめないでいる寂しさも感じられ、高校時代の自分とどこか重なるようなところもありました。進学で仙台を離れた後も心に残っていたのです」

 連載は4月7日より毎週日曜、読書面の一角(「東北の文芸」面)に掲載されます。

 連載小説「大観音の傾き」4月7日開始 山野辺太郎さんが抱負(河北新報オンライン)
 (ウェブ上では、サイトの会員向けコンテンツとして掲載されています)
 https://kahoku.news/articles/20240403khn000014.html

混ざり合う恐さ

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 『文藝春秋』新年特大号(12月8日発売)に掲載の〈2023年「わたしのベスト3」〉にて、綿矢りささんが選んだ3冊のなかに『こんとんの居場所』がありました。
 「混ざり合う恐さ」と題された綿矢さんの文章の一部を引用にてご紹介します。

 それぞれの人たちが、生きてきた記憶が、ある出来事によって混ざり合う過程が、とても怖く面白い。同時収録の「白い霧」も人間が白い霧になって消える怪現象を軸に物語が展開され、ヘンテコだけど奇妙な魅力にあふれた作品だ。すべてフィクションの内容だと思うが、現代社会で人々の抱える、ぼんやりした不安がフィクションの形を借りて反映されている二作品のようにも感じる。

 混ざり合う恐さ 文藝春秋BOOK倶楽部特別編 2023年「わたしのベスト3」(文藝春秋)
 (ウェブ上では、サイトの会員向けコンテンツとして掲載されています)
 https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7397




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