山野辺太郎のウェブサイト


報道・論評

山野辺太郎の小説などへの報道・論評

共同通信・文芸時評の「恐竜時代が終わらない」評

投稿日:

 共同通信の文芸時評「デザインする文学」で、「恐竜時代が終わらない」が取り上げられました。評者は、倉本さおりさんです。
 一部を引用にてご紹介します。

 山野辺太郎の「恐竜時代が終わらない」(「文学界」7月号)は不思議な読み心地の小説だ。スーパーで働く50歳のしがない男が、なぜか学会にひっぱりだされて講演するところから幕があく。
 実はこの男、恐竜時代の記憶を父親から口伝えで引き継いでいるという。太古から続く伝言ゲームの果てにひもとかれるのは、捕食—被食関係にあるはずの恐竜同士が織りなすロマンチックで哀切な物語だ。そこには、子を持たずに人生を終える予感を抱いている男自身の姿をはじめ、社会の論理からはじき出された現実の人間たちの悲哀もまた織り込まれている。
 「わたしにとって過去とは、絶えず修繕を重ねながら、幾度となく生き直すための場でもありました」。男の語る物語が寓話にとどまらない奥行きを備えるのは、ロールモデルを失った今の時代をひっそり照らしてくれるからだろう。

 「南日本新聞」(6月25日)、「京都新聞」(6月29日)、「山陰中央新報」(同)などに掲載されました。おそらく、ほかにもあるかと思います。——追記:「沖縄タイムス」(7月13日)
 紙面には、伊藤健介さんのイラストも掲載されています。

 デザインする文学・6月 普通の陰に隠れる恐ろしさ(共同通信・文芸時評)
 (リンクは、山陰中央新報のページです。ウェブ上では、サイトの会員向けコンテンツとして掲載されています)
 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/54912

『読売新聞』文芸月評の「恐竜時代が終わらない」評

投稿日:

 『読売新聞』2021年6月29日朝刊の文芸月評で、「恐竜時代が終わらない」が取り上げられました。評者は、武田裕芸さんです。

 狭い世界 あふれる孤独/コロナの現代 風刺巧み (読売新聞・文芸月評)
 (ウェブ上では、サイトの会員向けコンテンツとして掲載されています。一部を引用にてご紹介します)
 https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210628-OYT8T50098/

 気鋭の作家たちの作品に、光るものがあった。文芸賞で2018年にデビューした山野辺太郎さん(45)の「恐竜時代が終わらない」(文学界)は、父から「恐竜たちの物語」を受け継いだ五十絡みの男性が主人公。彼が少年時代の父との回顧談を織り交ぜ、とつとつと語る物語には、肉食恐竜の友に食べられることで友の一部になれると信じ、命を差し出す草食恐竜の子が登場する。食う者と食われる者との間に、命の贈与による愛は成立するのか。作り話を語ることの愉快さを感じさせつつ、深遠な問いを忍ばせている。

文学とは「送りバント」である

投稿日:

 note掲載の「ちいさなへやの編集者」さん執筆の記事にて、山野辺太郎の小説が取り上げられています。
 記事の題名は、「文学とは『送りバント』である―作家・山野辺太郎のこと」。
 デビュー作「いつか深い穴に落ちるまで」に始まって、第二作「孤島の飛来人」、第三作「こんとんの居場所」、そして新作「恐竜時代が終わらない」と、これまで発表した四作品が論じられています。
 一部を引用にてご紹介します。全文は下記のサイトで読むことができます。

 山野辺太郎がえがく作品の登場人物たちからは、いつも、「受け継ぐ者」としてのつよい責任感がつたわってきます。彼らはつねに、じぶんが目撃しているもの、あるいはその人生そのものを、後続の世代へとなんとかしてつないでいこうとつとめています。

 文学とは「送りバント」である―作家・山野辺太郎のこと(note)
 https://note.com/chiisana_heya/n/na742fcf44934

『小説トリッパー』文芸季評の「こんとんの居場所」評

投稿日:

 『小説トリッパー』2020年冬号〔12月18日発売〕の文芸季評で、「こんとんの居場所」が取り上げられました。評者は、中村真理子さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

 わからないままの良さは確かにある。(中略)「こんとん」へと取材の旅に出る。わからないままそれに同化してゆく濃密な快楽がある

『図書新聞』文芸時評の「こんとんの居場所」評

投稿日:

 『図書新聞』2020年12月12日号〔12月5日発売〕の文芸時評で、「こんとんの居場所」が取り上げられました。評者は、岡和田晃さんです。
 文芸時評の見出しは「〈書くことの根拠〉を創造する地下茎の連帯」。一部を引用にてご紹介します。

 山野辺太郎「こんとんの居場所」(「小説トリッパー」)は、〈書くことの根拠〉を複数の場所に設置しなければ書けない類の壮大な幻想が展開されている。

『読売新聞』文芸月評の「こんとんの居場所」評

投稿日:

 『読売新聞』2020年9月29日朝刊の文芸月評で、「こんとんの居場所」が取り上げられました。評者は、待田晋哉さんです。

 恋する者の「空」を形に/古典と溶け合い 浮かぶ人の業 (読売新聞・文芸月評)
 (ウェブ上では、サイトの会員向けコンテンツとして掲載されています。一部を引用にてご紹介します)
 https://www.yomiuri.co.jp/culture/20200928-OYT8T50188/

 心の飢えを満たす、ふくよかな膨らみのある小説もあった。
 2018年の文芸賞でデビューした山野辺太郎さん(44)の「こんとんの居場所」(小説トリッパー秋季号)は、飛躍の一作だ。
 (中略)電車で房総の海辺の町を訪ね、「こんとん」なるものの正体を突き止めにゆくことになる。繰り出される話のえたいの知れなさ

金太郎飴

投稿日:

 磯﨑憲一郎さんの著書『金太郎飴』(河出書房新社、2019年12月)が発売になりました。2007年から2019年までのエッセイ・対談・評論・インタビューを収めた一冊。
 磯﨑さんと山野辺の対談「百年前の作家から励まされる仕事」(p.463)や、文藝賞選評(p.459)、朝日新聞文芸時評(p.421)にて、『いつか深い穴に落ちるまで』を取り上げていただいています。

 『金太郎飴』の紹介ページ
 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309028514/

『小説トリッパー』文芸季評の「孤島の飛来人」評

投稿日:

 『小説トリッパー』2019年冬号〔12月18日発売〕の文芸季評で、「孤島の飛来人」が取り上げられました。評者は、中村真理子さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

 飛ぶまでがデビュー作なら、飛んだ後を描いたのが二作目。島に流れ着き、牢屋に捕らわれた「僕」は、看守の大木から聞き取りを進め、徐々に島の成り立ちを理解してゆく。大木はかつて仙台から流れ着き、牢で横穴を掘っていた。いつか誰かが逃げ出すための横穴を。
 大木によって語られる島の歴史は、硫黄島の玉砕も含めて史実で驚く。人生の意味とは何か。与えられた使命を遂行することなのか。(中略)淡々とした役人文体が今作も似合っていてまた驚く。

『図書新聞』文芸時評の「孤島の飛来人」評

投稿日:

 『図書新聞』2019年12月14日号〔12月7日発売〕の文芸時評で、「孤島の飛来人」が取り上げられました。評者は、岡和田晃さんです。
 一部を引用にてご紹介します。

 デビュー作「いつか深い穴に落ちるまで」が、ヴェルヌ『地底旅行』のような(中略)“下”への物語だったとすれば、今度は『八十日間世界一周』を彷彿させる“上”への飛翔の物語であり、解放感において前作に勝る。リーダブルなのでつい物語と書いてしまったが、定型的な“物語”性への内在的批判はきちんと盛り込まれている。漂着する島も、自意識に囲われた“孤独の島”ではなく、硫黄島をめぐる歴史と周到にリンクする。

『いつか深い穴に落ちるまで』が「新人賞受賞作メッタ斬り!対談」に

投稿日:

 

 『ダ・ヴィンチ』2020年1月号〔’19年12月6日発売〕に掲載の「新人賞受賞作メッタ斬り!対談」にて、『いつか深い穴に落ちるまで』が取り上げられました。
 豊﨑由美さんと大森望さんの対談形式で、今年9月までの1年間に刊行された新人賞受賞作から選定された「推しの6冊」のうちの1冊として論じられています。
 一部を引用にてご紹介します。

 この作者はそんな科学的根拠を一切合切振り切って一本の小説を書いちゃった。その胆力に恐れ入りました。
(中略)
〈頭から落ちるか、足から落ちるか。もちろん、頭だ。頭から突っ込んでゆけば、あちらへ着いたころにはきちんと足が下になっている。真っ昼間から、真夜中へ〉。なんだか感動的。このあと、素晴らしいラストに向かいます。
(豊﨑由美さん談)

 『ダ・ヴィンチ』2020年1月号【目次】(KADOKAWA)
 https://ddnavi.com/news/581378/a/




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