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恐竜時代が終わらない (冒頭)

 ただいまご紹介いただきました岡島謙吾です。ふだんは所沢のスーパーの鮮魚売り場で働いています。どうも皆さん、こんにちは。
 わたし、講演というのは初めてなんです。生まれてこのかた半世紀、誰かの講演を聴きに行ったことさえありません。講演とはどんなものかもよくわかっていないのに、こうしてしゃべりはじめているわたし。本当にこんなことが起こってるんでしょうか。自分でもびっくりしています。いま、話を聴いている皆さんこそ、この驚くべき現実の何よりの証人であり、この現実の一部でもあるわけです。どうか皆さん、そんなに驚かせないでください、このわたしを。
 どうしてこうなったのか。きっかけは一通の手紙です。差出人は、世界オーラルヒストリー学会の日本支部長でいらっしゃる、蓮田由理子先生です。正直に申しますと、封筒に記されていたこの学会の名前を見た時点で、身に覚えはないけれど、なんだか面倒なことに巻き込まれそうだな、と感じたものでした。そもそもオーラルヒストリーとは何か。まあ、ヒストリーというからには歴史に関係があるんだろうと思ったわけです。便箋を取り出しますと、蓮田先生というのは古風なかたのようで、文面は手書きでした。そのときには、とくに講演を頼まれたわけではなかったんです。ただ、恐竜時代の出来事のお話をぜひ聞かせていただきたい、と書いてありました。恐竜時代の出来事? なぜ、そのことを……。手紙を読んだときの驚きといったら、所沢中に響くほどの大声で「ウォーッ」と……、すみません、でかすぎましたか、それこそ恐竜みたいに雄叫びをあげたいくらいでした。でも、壁の薄いアパートのひとり住まいです。近所づきあいもほとんどなく、目立たないように、なんの変哲もない人間の一員としてひっそりと暮らしているものですから、トラブルの種をまくわけにもいかず、無言で驚きを噛み殺しました。
 歴史を研究する学者さんが、恐竜時代のことにまで首を突っ込むのか? 何しろ一億五千万年も昔の出来事です。この場に招かれたのがなんらかの手違いの結果でなければよいのですが、ここまで来たらわたしも突き進むよりほかはありません。恐竜たちよ、きっと大丈夫だから、記憶の底から出ておいで。そんなふうに胸のうちで呼びかけつつ、喉のウォーミングアップがてら、恐る恐る語りはじめているわけです。
 日頃は、皆さんのいる学問の世界とはあまり縁のないところで暮らしております。ですが、きょうはこうして大学の敷地に足を踏み入れまして、迷路に入り込んだみたいにだいぶうろちょろしたすえに、どうにかこの会場へたどり着きました。イチョウ並木のしたに、色鮮やかな落ち葉に交じって、ずいぶんギンナンが落ちていましたね。こんなことならビニール袋を持ってくればよかった。それでも帰り際に、ポケットに突っ込んでいくらか持って帰ろうかと思っています。
 高校生のころには、わたしも大学に進んで、原始人の石器やなんかを扱う考古学の勉強をしてみたい、なんて考えたこともあったものです。けれども家計に余裕がなかったものですから進学はせず働きに出まして、この三十年あまりのうちにずいぶんと職を変えました。本当に思い出したくもないことばかり……。自己紹介も兼ねて、思い出したくもない話を少しいたしましょう。
 若いころに健康食品の訪問販売をしたことがあったんです。謎めいた天然成分のあれこれからこしらえた薄茶色の錠剤みたいなものの瓶詰めで、けっこう高級な品でした。これをカバンに入れて一軒一軒、訪ね歩いたんですが、なかなか取り合ってもらえません。住民のかたが出てきてくれたと思ったら、玄関先で怒鳴られたり、延々とお説教を受けたり、ちりと一緒にほうきで掃き出されたり、あとは腐った柿の実ですか、そんなのをぶつけられたりもしました。さっぱりノルマは果たせず、営業所に帰ればひたすら所長に罵倒される始末です。それで追い詰められまして、体はだるいし、気持ちも上向かない。この仕事を続けていくことに、いや、ただ生きているということにすら、言い知れぬ空しさを感じるようになっていました。
 あるとき、仕事の途中でくたびれ果てて公園のベンチに腰を下ろし、かたわらのポプラの木をぼんやりと見上げていました。生い茂った葉っぱは日の光を含んで黄緑色に照り映えています。草食恐竜のように、葉っぱを食って生き延びられたらよかったのに……。目を閉じると、ジュラ紀の森の光景が脳裏に広がっていきます。しばらくその場に身を置いて、静かに息をしながら心を鎮めていきました。もう少し、がんばってみるか。そう思って、ゆっくりとまぶたをひらきます。ふと、ベンチのとなりに置いたカバンに視線を落とし、なかから売り物の瓶を取り出しました。これを飲んだら健康になれるのか? わたしは瓶のふたをあけました。一瓶の半分くらいですかね、口に入れて噛み砕き、これは苦いと思いながら水飲み場で喉に流し込んだんです。苦さの分だけ効き目があるような気がしました。
 仕事に戻りまして、訪ねたお宅でさっきの瓶を差し出すと、
「見てください。わたしも飲んでまして、これが体にいいんです」
 そんなふうに売り込んでみたんですが、応対してくださったおばあさんから、けげんそうに、
「でも、顔色が悪いようですよ」
 と指摘されてしまいました。道を歩くうちに、めまいがしてきまして、かろうじてさきほどの公園にたどり着いてベンチで休んでいましたら、腹まで痛んできました。これは、とんでもないものを売り歩いていたのかもしれないぞ。悲しいやら悔しいやらで、いても立ってもいられない気分になりました。すぐにでも営業所に帰って、所長にいっちょ、もの申してやろう。これも錠剤の副作用だったのかもしれませんが、にわかに気が大きくなってきました。めまいも腹痛も、興奮にかき消されたようで、相変わらず顔色は悪かったでしょうけれど、営業所へと急ぎました。
「こんな商売はやめましょう」
 所長にそう言ってやりました。すると、どうでしょう。胸ぐらつかまれて膝蹴り食らうわ、売り物を勝手に飲んだ罰金とかで給料をゼロにされるわで、出ていけ、とどやしつけられました。あのときの所長のひんむいた目を血走らせ、口のはしに泡を浮かべて迫ってくる形相を思い起こすといまでもオシッコちびりそうになりまして、だから思い出したくないと言ったんです! 皆さん、ピンロガン、確かそんなような名前でしたが、あれは効きません。本当に効きませんのでお気をつけください。


単行本 : 『恐竜時代が終わらない』書肆侃侃房、二〇二四年五月
*表題作のほか、短篇「最後のドッジボール」を収録。
[単行本の詳細]http://www.kankanbou.com/…
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[作者による冒頭朗読]https://youtube.com/…

掲載誌 : 『文學界』二〇二一年七月号(六月七日発売)
[掲載誌の詳細]https://www.bunshun.co.jp/…

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