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すみれを摘みに春の野原に出かけたことがある。
山道をしばらく歩いてゆくと、視界がひらけた。草の緑に、青紫の可憐な花。あたり一面、すみれが咲いていた。すみれのあいだを揺らぎながら飛ぶ白い羽、あちらには黒い羽、向こうにはだいだい色の羽、さまざまな色の蝶たちの姿が目に留まる。自分には羽がない。すみれをそっと踏んで歩いた。すみれ、すみれ、と心のうちで唱えてみる。須美礼、と文字を思い浮かべる。目に映る無数の小さなすみれたち。花に表情はあるのだろうか。微笑んでいるようにも感じられる。人の世に生きる憂さを忘れて、心が解きほぐされてゆく。何も知らぬ赤ん坊に還ってゆくようだった。
いつしか空から青みが薄れて、山の端に日が沈みかけていた。もう帰らなくては。けれど、ここを離れがたい気がした。すみれの野原に寝転がる。草も、花も、自分自身も、すべてが闇のなかに紛れてゆく。天上には無数の星。静かな夜だった。
あのときのことを心にとどめ、ときおり思い出すことができるように、歌を詠む。
よろずの言の葉を集めた『万葉集』にこの歌は収められた。千数百年のときを隔てて、現代の僕はこの歌を思い出し、気ままな想像に心をゆだねる。
この歌の「我」とは誰なのか。山部赤人だ、というのが一つの考えかただろう。それとともに、誰でも自由になかに入ることのできる言葉の容れ物のようにも思える。この二つのことは同時に成り立ちうる。僕はこの歌を読みながら、「山部赤人のなかの人」になって、彼の目に映る情景を思い浮かべ、想像上の花の野に横たわる。
想像するうちに、学生時代の旅の記憶がよみがえってくる。大学の夏休みの時期、深夜に東京を発つ大垣行き夜行列車に乗り込んだ。それから鈍行列車を乗り継いで、西のほうを旅してまわった。夜にはナップザックから寝袋を取り出して野宿した。ときにはカプセルホテルに泊まることもあったけれど。そんな旅のさなかに奈良公園の片隅で夜を明かしたことがあった。目を覚まして上体を起こすと、眼前には緑の野原が広がっていて、鹿たちがゆったりと草を食んでいた。そうした体験が、どこかで想像の支えとなっているのかもしれない。奈良時代の歌人が過ごした野原にも、鹿は姿を見せただろうか。
山部赤人という人物について、歴史上の詳しい記録は残っていない。聖武天皇の時代に活躍した歌人であり、役人であったという。天皇に伴って、各地を旅する機会があった。『万葉集』に長歌と短歌、合わせて五十首が収められている。そのうちの一首が、この春の野の歌。
かつて、山部赤人はこの歌を詠んだ。そしていま、僕はこの歌を読んだ。詠むことも読むことも「よむ」ことであって、切り離すことのできないひとつながりの営みであるように感じられる。山部赤人にとっての春の野と、読者にとっての春の野は、同じものではない。三十一文字に凝縮された情景を、そっくりそのまま解凍することは誰にもできない。言の葉を受け取った一人ひとりの心のうちに想像力が渦を巻き、それぞれの春の野が広がってゆく。それは情景から歌を詠むというのとは逆に、歌から情景を詠み返すという創造的な営為なのではなかろうか。
ひとたび読者の心に繰り広げられた情景は、いつしか変貌を遂げて、あらたな歌へと詠み直されることもある。
この歌の収められた『古今和歌集』で、紀貫之は撰者を務め、仮名序を寄せた。仮名序のなかで山部赤人をたたえる紀貫之は、たたえるだけでなく、情景を受け継いで歌を詠んでいた。赤人の歌では「すみれ」が担っていた役割を、貫之の歌では「若菜」と桜の「花」が分け合っている。春の野に若菜を摘みに来たのだけれど、散り乱れる桜に心惹かれて道に迷ってしまった。赤人の歌には素朴な伸びやかさがあるのに対し、貫之の歌のほうは繊細で幽玄な感じがする。紀貫之もきっとひとたび「山部赤人のなかの人」になり、すみれの野原で夜を明かしてから、自分の心持ちに合った言の葉を探し、連ねていったのだろう。
誰だって春の野の歌を詠んでいいはずだ。「生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」と紀貫之も言っている。人それぞれに春の野があり、歌がある。山部赤人のまいた種から、どんな芽が出て、いかなる花が咲くのだろうか。僕もすみれの野原を出て、べつの野原に行ってみたくなってきた。
思い浮かんでくる光景がある。仕事で訪問先に向かう途中のことだった。人里から少し離れた土地で暮らす人のもとを訪ねていこうと歩いているうちに、たんぽぽの野原に出た。天気がよかった。日なたぼっこ、という言葉を思い出す。ひと休みしたい。明るい黄色に輝く野原に横たわり、空を見上げた。まぶしさに目を閉じる。そして眠りへと誘い込まれていった。
あれはいつのことだったろう……。いや、そんなことはしていない。たんぽぽのあふれる春の野に行っていないし、用事を忘れて昼寝もしていない。でもいつか、そんなことをするときがくるのではないか。待ち遠しいような思いもある。