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連載を終えて
——朝刊小説「大観音の傾き」

 二〇一一年の秋、仙台の仮設住宅地をワゴン車でまわる移動図書館に、スタッフとして参加した。東京で会社勤めをしていたものの、その活動に一週間だけ時間を振り向けることが許されてのことだった。その年の三月に起こった東日本大震災の惨禍は、震源から離れたところに暮らす人々の心にも痛みをもたらしていた。まして東北、仙台は、僕が大人になるまでのあいだ少なからぬときを過ごした土地だった。
 移動図書館の活動では本を一つの手がかりに、さまざまな交流が生まれることを大事にしていて、仮設住宅とそのまわりに住むかたがたに広く利用していただいた。ある会場で、体育着、仙台弁でいえばジャスを着た女子中学生二人組が自転車で通りかかり、興味を示している様子だったので案内し、本を借りていってもらった。その後、年配の女性が来場し、歴史小説を借りていかれたのだが、手続きの際、「さっき孫から話を聞いて……」とおっしゃる。そんな人と人とのつながりをうれしく思った。
 当時は自分自身が本を出すことになるなんて、現実的な未来として想定することはできなかったけれど、二〇一八年に『いつか深い穴に落ちるまで』で文藝賞を受賞し、小説家としてデビューすることになる。戦後七十年を駆け抜けるこの小説のなかでも、東日本大震災に触れている。ただ、それだけでは済まないだろうという予感があった。
 いつしか、仙台の丘陵地に立つ大観音のことが、きたるべき小説の登場人物として頭に浮かぶようになっていた。あのおかたは丘のうえにいて、大きな地震のあったとき、海から陸地へとせり上がってきた黒い水のかたまりを身じろぎもできずに見つめていた。直接ではなく映像を通して触れた者も含め、なすすべもなく目撃者となるしかなかった人々の痛みに通底するものを、あの巨大な体に抱えて立ちつづけているのだ。
 あのおかたを、いつまでも一人ぼっちにしておきたくなかった。誰か支えになってくれる人がいるとよい。仏像には、それと同じぐらい大きな仏像を。仙台大観音と牛久大仏が傾き合って「人」という文字のように支え合う姿が、あるとき脳裏にくっきりと浮かび上がった。その場面をどうしても書きたいと思った。
 小説は架空だが大観音は現実の大地に立つ。気軽に訪れてみていただきたい。胎内にも入れるので、ぜひ。

掲載紙 : 『河北新報』二〇二四年十月二日朝刊
[掲載紙の詳細]https://kahoku.news/… (該当記事のウェブ版)

連載をまとめた本 : 『大観音の傾き』中央公論新社刊、二〇二四年十二月
[本の詳細]https://www.chuko.co.jp/…

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