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最後のドッジボール (冒頭)

 父の胸には、へこみがあった。ただでさえ痩せた体つきだったうえに、まんなかから右胸にかけて、まるで熊の太い手でえぐり取られたみたいにくっきりと、落ちくぼんだところがあったのだ。
 風呂上がりにランニングシャツを着た父が、居間の座椅子に腰を下ろしてビールを飲んでいる。母もまた飲んでいて、僕と姉は小さなブラウン管のテレビに目を向けていた。コマーシャルになったとき、僕の目がテレビを離れ、白いシャツの布地になかば隠れた父の胸元へと引き寄せられた。やっぱり、へこんでいた。父の視線がこちらへ向いた。僕はとっさに立ち上がり、
「おやすみなさい」
 と言ってとなりの部屋へと駆け込んだ。そこは一家の寝室だった。敷いてあった布団に横たわり、タオルケットに身をくるんだ。念のため自分の胸に手のひらを当ててみる。右、左と順繰りに触れてみたけれど、へこみはなかった。代わりに、あばら骨の隙間から脈動を感じた。父が生まれ育ったのは東北の山あいの小さな町だった。熊が出ることもあったのだろうか。毛むくじゃらの熊が両手を高々と掲げ、歯をむき出しにして、低い吠え声をあげながら襲いかかってくる。脳裏に浮かんだそんな姿に恐れをなして、思わずタオルケットのへりを両手でつかんだ。ひんやりとしてやわらかい感触を確かめるように厚手のタオル地を揉んでいると、荒々しい獣は姿を消した。代わって現れたのは、あどけない顔つきをした黄色い熊だった。壺に手を突っ込んでハチミツをなめている熊のしぐさを眺めつつ、タオルケットをまさぐりつづけているうちに、いつしか僕は眠り込んでいた。
 昼下がり、僕と姉は居間で扇風機の風に当たりつつ、あずき味のアイスバーをなめていた。
「ねえ、お姉ちゃん」と僕は呼びかけた。「お父さんの胸、へっこんでるんだよ」
「知ってる」
 そっけなく姉は応じて、
「心臓の入っていないほうの胸」と言い足した。
「ふうん」
 姉に訊いたら、たいていのことはわかる気がした。小学校で勉強しているからというだけじゃなく、落ち着いていて頼りになる感じがしたのだ。僕はまだ保育園に通っていた。
「なんでへっこんでるの?」と尋ねてみる。
「それは知らない。お父さんに訊いてみれば?」
「いや、いい」
 それから二人で黙々とアイスを食べつづけた。そんなことを父に訊いたらきっと怒られる。凶暴な熊になって吠えかかってくる父……。想像しただけで怖かった。
 僕が園児から小学生になるときに、引越をした。東京の高円寺にあった古ぼけた平屋建ての借家を出て、埼玉の越谷にある中古住宅へと一家で移った。一階に六畳一間とダイニングキッチン、風呂、トイレ、二階には四畳半が二間あるだけの、こぢんまりとした家だった。僕は二階のふすまをせわしなく開け閉めしながら駅名などを唱え、一人で東武伊勢崎線の車掌ごっこをしたものだ。家のかたわらには、わずかながら庭もあり、片隅にアジサイが生えていた。
 小学校の近くを流れる用水路にはザリガニがいて、姉や近所の子たちと一緒に釣りをすることがあった。大きくて赤黒いザリガニはバケツのなかで堂々たるハサミを振り上げ、小さくて茶色じみたザリガニはおとなしくしていた。
 通学路の途中にある小川の岸辺にはノビルという野草がひょろりと伸びており、学校帰りに引っこ抜くと白くつややかな球根が出てきた。近所の子によると、これは食べられるものだという。持ち帰って夕食のおかずに味噌をつけてかじってみたら、ネギみたいな辛みが口のなかにほんのりと広がった。子供よりも大人のほうが、酒のつまみになると喜んでいた。
 ある夜、テレビを消して母が言った。
「歯を磨いて寝なさい」
「わたし、さき」と姉が駆けだすように居間を出た。
「えっ、なんで」と思わず僕もあおられて、あとに続いた。
 ダイニングキッチンと洗面所のあいだの引き戸を姉があけると、風呂を出た父がパジャマのズボンを穿いた姿で立っていた。
「お父さん、なんで胸へっこんでるの」と姉が口走った。
 言っちゃった……、と僕は思って身がまえた。こらっ、と低い怒声が響くのではないかと恐れたのだけれど、そうはならなかった。
 父は驚いたように目を見ひらくと、とつとつとした口ぶりで、
「子供のころ、ボールをぶつけられた。ドッジボールか?」
 末尾はなぜか問いかけるような言い草だった。それから口のなかにこもるように小さく笑った。
「嘘だあ」と遠慮なく姉が言った。
「嘘じゃないよ」
 どこか恥ずかしげに微笑みながら父は言うと、パジャマの上着を羽織り、ボタンを留めていった。
 昼休み、僕は校庭で飛び交う容赦ない球の攻撃からひたすらに逃げ惑っていた。それが、僕にとってのドッジボールというものだった。逃げてばかりいたのに、逃げることすら上達しなかった。足元に転がってきたのをうっかり拾い上げたところで、重くもないのに砲丸投げのような動作で安全にボールを送り返すことしかできなかった。
 僕の放り込んだボールを難なく拾い上げた子が、いま、目のまえに立っている。スポーツ少年団で野球をやっている子だ。もう逃げられない。父だったら真正面から立ち向かい、ボールを受け止めようとするのだろうか。でも失敗したらたいへんだ。僕はとっさに彼に背を向け、ダンゴムシのように身を丸くした。周囲の笑い声と罵声が聞こえるなかで、背中にボールを思い切りぶつけられた。
「いてっ」
 僕は叫んだ。笑い声が大きくなった。背中に手をまわしてさすりながら、内野から外野へと出ていった。叫んだわりに痛みはたいしたことがなく、すぐに消え散ってしまった。
 越谷の小さな家での生活はたった四ヶ月ほど、小学一年の一学期だけのことだった。せっかく家を買ったそばから秋田への転勤が決まってしまったのだ。名残惜しくはあったけれど、いつかまたここへ帰ってくるときがあるのだろうと僕は思った。
 父が勤めていたのは建物の給排水や空調といった設備工事の設計・施工を請け負う会社だった。秋田での二年間、父は郵便局の建設にたずさわった。都内の大学の建築学科を出ていた父は、図面を引いたり現場に出たりしていたようだ。現場からさほど遠くないところに青いトタン屋根の簡素な平屋が二軒建っていて、そのうちの片方に僕らは暮らした。塀も門柱もなかったけれど、冬には雪だるまをこしらえて玄関先に配置した。家からちょっと歩くと田んぼに行き当たり、暖かくなって水が張られたあとにはオタマジャクシが泳ぎだしていた。
 次の赴任先は仙台だった。戦前から建っている黒ずんだ木造家屋にクリーム色の外壁の二階を増築したちぐはぐな家を借りて六年近く住んだのち、丘陵地のニュータウンに買い求めた建売住宅へと移り住んだ。その購入資金の一部に充てるべく、越谷の家は売り払われてしまった。
 仙台で父がどんな建物の仕事にかかわったのか、僕は知らない。平日の帰りは遅く、休日は寡黙な父だった。僕も高校生になるとめっきり無口になり、学校も家も窮屈で、早く抜け出したいと願うようになった。大学への進学とともに上京して以来、何年にもわたって帰省することがなかった。
 就職の前後から、それほどのかたくなさはなくなって、地道に働きつづけた父に対して一目置くような気持ちをいだくに至った。さほど積極的に帰るようになったわけではなかったものの、仙台への出張があれば泊まっていくようになっていた。父とはぽつりぽつりと短い言葉を交わすくらいではあったけれど。

単行本 : 『恐竜時代が終わらない』書肆侃侃房、二〇二四年五月
*表題作のほか、短篇「最後のドッジボール」を収録。
[単行本の詳細]http://www.kankanbou.com/…
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[作者による冒頭朗読]https://youtube.com/…

[教科書掲載のお知らせ]https://yamanobe-taro.jp/…

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