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2008年5月21日の記事

木曽の森に理想郷を見たか

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080520わが魂は輝く水なり

 『わが魂は輝く水なり』を観劇。源氏方の木曽義仲軍と平家方の斎藤実盛らの軍勢が争い、実盛が最期を遂げることになる北陸での戦いが、この劇の素材となっている。
 平安末期に繰り広げられた東国の源氏、西国の平家の二大陣営の争乱は、一九八〇年にこの脚本を書いた劇作家・清水邦夫にとって、東側諸国と西側諸国の二大陣営が睨み合っていた二十世紀の世界の記憶とも呼応するものとして映っていたことだろう。ユートピアめいた木曽の森に対する実盛の憧れと嫉妬、理想社会を夢見て森へと走った実盛の息子たち、彼ら五郎と六郎が見た森の世界の狂気じみた現実。これは、革命の理想が若者たちを突き動かし、その帰結としての現実が若者たちに幻滅と挫折をもたらすに至る、かつての叛逆の時代への挽歌であるとも受け取れる。だが、舞台となる年代を、浅間山荘事件の一九七二年から篠原の戦いの一一八三年へと大胆に移したことで、時代の制約を超えた普遍性を獲得している。
 若者たちが生き生きと駆け回っていた森の世界は、誰もが過ごした少年時代の無垢なる世界の記憶のようにも感じられる。しかし、そんな世界は遠い追想や憧憬のなかにあるだけで、誰もそんな少年時代を実際には過ごさなかったのかもしれない。
 実盛は、錯誤と悟った理想にあえて殉じるべく、みずからの老いた容貌に若者の化粧を施し、討ち死に必至の戦いのなかに進んで身をさらけ出す。五郎の亡霊が、現実に取り殺されたのちに理想の精髄として純化されたかのように、無力に、美しく、父実盛のかたわらに最期のときまでつき従っているさまはいじらしい。

 実盛役の野村萬斎や五郎役の尾上菊之助は、伝統芸能の土台もあってか、激情で押してくるよりも抑制のなかに凛々しさや気品のあるたたずまいで好演していた。巴役の秋山菜津子の威厳と狂気も、真に迫るものがあった。五郎のまとう装束に、男性的なものと女性的なものとを取り合わせたところも、人物像にふさわしいものだった。
 演出・蜷川幸雄。渋谷のシアターコクーンにて。




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