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2013年10月10日の記事

しいたげられた人生

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131010ヴォイツェク

 赤坂ACTシアターにて、『ヴォイツェク』観劇。
 ドイツの作家ゲオルク・ビューヒナーによって遺された戯曲原稿は断片の状態であり、それをつなぎ合わせて一本化したものも、いちおうの本筋はありながら、断片としての奇妙なおもしろさをもった場面が多い。つなぎ合わせかたも一通りではない。そんなテキストであるだけに、十九世紀初頭の作ながら前衛的な演出と親和するところもあるけれど、今回の舞台は落ち着いた演出であったように思う。
 貧しい兵士ヴォイツェクには財産らしき財産もなく、大事なものといえば内縁の妻マリーと赤ん坊クリスティアンの存在のみ。忙しく駆け回り、妻子のもとでゆっくりする暇もない。尊大な大尉の髭を剃るヴォイツェクや、見世物小屋で見世物のように扱われるヴォイツェク、エンドウ豆だけを食べて尿を採られる実験台となったヴォイツェクなどの場面が挟まる。軍楽隊の鼓手長にマリーを寝取られたヴォイツェクは、がらくた売りからナイフを買って、湖の浅瀬でマリーを刺し殺し、自分も水のなかに沈んでゆく。しいたげられ、静かな狂気の内に幕を閉じる人生。
 ヴォイツェク役の山本耕史とマリー役のマイコが美しく凛然としていて、特にヴォイツェクは本来もっとくすんだ感じの人間なのではないか、という気もするが、そうではない感じの人間によって演じられているところに妙味があったようにも感じる。この配役ゆえ、「劇場から裏町へ出て、現実の世界を見よ。舞台上のまがいものの世界になれきった連中は、現実を見て『なんて平凡なんだ』と叫ぶだろう」という趣旨(記憶によるため、正確な引用ではない)でなされる口上役の言葉が活きる(ちなみにこの台詞は原作にはなく、同じ作者の『ダントンの死』から移してきたようだ)。
 音楽劇と銘打たれ、絶えず舞台脇のバンドの生演奏を伴って場面は進み、ときおり登場人物の歌唱が挟まる。なかでもヴォイツェクの狂気と倦怠のにおいをはらんだ曲が繰り返し歌われ、山本の張りのある歌声が際立っていた。演出・白井晃。




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