ソウルにて、鈍重に、寡黙に
渋谷のシアター・イメージフォーラムで『ムサン日記~白い犬』(パク・ジョンボム監督)を観た。
受付に「ムサン日記――主人公スンチョルと同じくおかっぱ頭の方は割引料金1500円」というような貼り紙がしてあって、館員もさりげなく草野マサムネ顔負けのおかっぱ頭をしている。料金を払うべく「ムサン日記」と言うと、「一般料金でよろしいですか?」と館員に確認されたが、「僕、おかっぱじゃないですよね?」と問いただすまでもなく、おとなしく一般料金を払う。学生に見えたというならそれはそれでけっこうなのだけど。
『ムサン日記』は、ソウルに暮らす脱北者を主人公に据えた韓国映画。ずんぐりした猫背の体躯におかっぱ頭のスンチョルは、ポスター貼りなどの仕事を満足にこなせず、社会の片隅でしいたげられるような毎日を生きている。その鈍重で寡黙なたたずまいが、観客としての僕を惹きつけた。
スンチョルと同居する詐欺師紛いのギョンチョルとのあいだの、寂しい者同士、身を寄せ合いながらも反目せざるをえない関係のありかたも切ない。映画の冒頭近くで、ギョンチョルがスンチョルのために赤いハート型の枕を買ってきてやる(あるいは盗んだものかもしれない)ところなどは、荒涼とした生活空間に温かすぎるくらいの色彩を添えるものだった。スンチョルが住み処へ連れ込んだ白い捨て犬に対してギョンチョルがいだいた反発は、一種の嫉妬であるといえなくもない。
白い犬のほか、スンチョルが多少とも心をひらいた相手として、ギョンチョル、後見人のような立場のパク刑事、それにカラオケ店で上司となる女性のスギョンがいる。誰に対しても、距離感を縮めているときであってもスンチョルは笑顔一つ見せることがなかった。白い犬に対してさえも、ほとんど。
スンチョルが熱心に通う教会、そしてそこで歌われている賛美歌。それらは、誰もスンチョルを救うことはできないということを逆説的に突きつけているようでもある。パク刑事に連れられて訪れた、悩みを語り合う教会での集いで、北朝鮮で空腹ゆえに人を殺したという過去を突然告白するスンチョルは背中越しのアングルで映され、まるで観客である僕自身が告白を始めたような驚きを伴う。背中越しといえば、ラスト付近、カラオケ店の仕事でビールの買い出しに出たときのスンチョルの後ろ姿は、いつ背後から誰かに殴りかかられるかという不穏さに満ちていて怖いほどだった。実際には誰からも殴りかかられはせず、ただ、一つの喪失に立ち会うことになるのだが……。