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2017年5月3日の記事

山林のオオカミたち

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 「イタリア映画祭2017」の一環として上映された『幸せな時はもうすぐやって来る』(アレッサンドロ・コモディン監督)を観た。
 夜の闇のなか、何かから逃れるように、二人の若者たちが山林を疾走している。彼らは山中で無邪気に日々を過ごすうち、深い穴を見つけたり、水浴びをしたり、即席のワナをこしらえてウサギを仕留めたり、銃声を聞いて男がたおれている現場に出くわしたりする。そして二人の若者たちも、不意に銃で撃たれてたおれる。
 続いて、付近の村人たちがオオカミの伝説を語る場面が挿入される。オオカミが美しい牝鹿に惹かれたが、思いが実らないと、代わりに人間の女を探し歩いたという。
 その伝説の山林へと、若い女性が分け入ってゆく。彼女は穴を見つけ、そこをくぐって水辺に出る。水浴びをしていると、若者が一人現れる。彼女は若者と親密になったのち、仕留められた獲物のように、若者に運ばれてゆく。山林には、銃を持ったオオカミ狩りの男たちが入ってゆく。
 最後に、若者は刑務所にいる。そこへ面会に来たのは、あの若い女性のようだった。
 ストーリーのようなものは断片にまで寸断されていて、つなぎ合わせようとしても随所で矛盾に逢着する。むしろこの映画は、モチーフが変容しながら反復されることで展開してゆくように思われる。大きな流れとしては、「二人の若者」から「オオカミと牝鹿」へ、そして「若者と女性」へという二人組の変容があるだろう。映画の前半部では、「仕留められて腹を切り裂かれたウサギの死骸」から「銃で仕留められた男の死骸」へ、そして「二人の若者たちの死骸」へという連鎖のなかで若者たちの運命が決着する。また、冒頭の「闇夜を疾走する若者たちの衣服が青白く浮かび上がる場面」は、終盤で「オオカミ狩りにやってきた男たちのジャケットが暗闇でオレンジ色に輝く場面」に照り返されて、追われているオオカミとは、あの二人の若者たちのことではないかと気づかされる。
 観終えた映画をこうして思い返していると、僕自身もあの山林の奥深くにさまよい込んでしまったような奇妙な心地になってくる。




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