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2008年8月29日の記事。

端役の人生

投稿日:

080829女教師は二度抱かれた

 僕が最後に演劇の舞台に立ったのは小学校六年生のときである。
 学芸会の演目が『走れメロス』に決まり、三つあったクラスから一人ずつ主役候補が選ばれた。体育館でオーディションめいたことが行なわれ、教師たちによる判定の結果、三人のうち二人が主役に決まり、前半のメロス役と後半のメロス役に分けられた。
 もう一人はセリヌンティウス役でもディオニス役でもなく、「コール隊長」というものに任ぜられ、舞台の下に設置された段に並んだ合唱隊(コロス)のようなもののリーダー格として、「メロス、メロス、真の勇者メロスよ。いまここで動けなくなってどうするのだ」などと声援を送る役目を受け持つことになった。つまりはそれが僕であり、だから「舞台に立った」というのは正確ではなく、「舞台の下に設置された段に並んだ」というのが実態である。
 オーディションで、僕の声がひときわ大きかったことが「コール隊長」に任命された理由らしい。主役をやりたくて大きな声を披露したつもりが裏目に出て、違う適性を見いだされてしまったわけである。いまではすっかり照れ性で声の小さな大人になってしまったが……。

 前置きが長くなったが、渋谷のシアターコクーンで、松尾スズキ作・演出の芝居『女教師は二度抱かれた』を観た。その感想を書き留めておこうかと思ってパンフレットの配役表を眺めていたら、「天久六郎=市川染五郎」「山岸諒子=大竹しのぶ」(この両者は主役)などと並んでいるなかで、下のほうに「その他=赤池忠訓」とあるのを見つけ、役名が「その他」とはどんな役だよ、その他大勢ならともかく一人だけその他って……、と微笑んでしまった。たぶん、椅子かなんかを持って舞台上を横切っただけの人物ではないかと思うが定かではない。「その他」という活字を見ているうちに、冒頭に書いたような「コール隊長」の思い出がつい脳裏に甦ってきてしまったのである。
 この芝居では、俳優養成学校の生徒役が「俺なんて、もらった役名が『雰囲気』だぜ。火事の炎の雰囲気を演じる役」などとぼやく場面があったりもして、「その他」的なわびしさが随所にちらついていた。
 ヒロインである女教師(じょきょうし)の山岸諒子は、女優になる夢に挫折して零落した女であり、主役になれなかった役という主役、という妙なことになっている。山岸役の大竹しのぶは、不器用さのなかに色気と狂気を隠し持った女、という役どころがぴたりとはまり、熟達した女優の演技で女優になりそこねた女の存在感を示していた、というのも妙なことである。
 全編通してギャグ満載で笑いに溢れた舞台だったが、主役の人生(新進劇作家・天久六郎や、歌舞伎役者・滝川栗乃介など)、端役の人生(雰囲気など)、舞台から転落した人生(女教師・山岸諒子など)と、それぞれの哀感が伏流していて味わい深くもあった。




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