恋という名のまわり道
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喜劇を要約することほど滑稽なことはないのだけれど、その滑稽なことをあえてすると、恋とはまわり道である、というのがこの劇『恋の骨折り損』の要諦ではなかろうか。
言葉を欲望のとおりにまっすぐ通すことができないから、何かを直接伝える場合に比して何十倍も余分な言葉が生じ、あらぬ方向に逸れていく。
喜劇の結末は(悲劇が主人公の死であるのに対し)主人公の結婚で締めくくられるのが古来の定型とされており、この劇でもそれを少しずらしつつ踏襲しているが、恋のプロセスというものが、すべからく喜劇的な性質を持っているいうことなのか。
シェイクスピア劇の原文には韻文が多いが、欧米語の韻文のリズムを日本語に移すことはほとんど不可能だ。今回の演出ではところどころラップ調の語りを入れることで、言葉のリズム、欲望のリズムを舞台上に呼び覚ましていた。
シェイクスピア作、蜷川幸雄演出、さいたま芸術劇場にて。