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ハイビスカス

 友達から美術のヌードモデルをやってほしいって頼まれて、最初はちょっとためらった。ベリーダンスをやっていて、露出の多い恰好をすることはあったけど、ヌードとなると話は違う。それでも引き受けることにしたのは、絵描きをしていた父の影響で、なじみのある世界のような気がしたからかもしれない。ただ、父が描いていたのは裸婦像じゃなくて、風景ばかりだったんだ。どうして人物を描かなかったのかはわからないけど、母が言うには、人と接するのが苦手で、人が怖いからだろうって。
 父は絵描きといっても、それで生計が成り立っていたわけじゃなかった。長続きしない仕事を転々として、母の稼ぎに頼ったりもしながら、空いた時間があれば一人でスケッチブックを持って出かけていった。たいてい山に行って、せっせと自然の景色を描いていた。森林の絵が多くて、そこに鳥が飛んでいたりいなかったり……、いや、ほとんど飛んでいたんじゃないかな。記憶違いかもしれないけど。とにかくしょっちゅう絵を描きに出かけていて、あとは酒ばかり飲んでいたら、肝臓を傷めて早死にしてしまったんだ。わたしが高校生のときだった。
 葬儀が済むと母は、遺された絵をすっかり全部ゴミに出してしまった。きっと、この絵のおかげで苦労をさせられたっていう怨念めいた思いもあったんだろうな。葬儀を出すお金もなくて、母方の祖父母からの助けでなんとか切り抜けたほどだった。せめて一枚ぐらい、火葬場で一緒に燃やしてあげるなんてことができなかったのかなって思ったけど、母に言わせれば、燃えるゴミに出したんだから、燃やしたことには違いないでしょ、って……。父にとって「人が怖い」っていうときの「人」の筆頭に位置していたのが、母だったのかもしれない。全然怖くないはずの娘のわたしでさえ、その「人」の一員だったんじゃないかって思うと、悲しいなあ。
 父のことがあって、わたしは絵画に興味があるというよりは、どうして人生を棒に振るようにしてまで絵を描きつづける人というのがいるんだろう、ということに密かな関心があったんだ。それで美術モデルの仕事に定着したような気がする。
 美術の道を極めていって、うまくいく人だっていると思う。ただ、そうじゃない場合、どうしたらいいのかっていうのは難しい。うちの父のような生きかただってあるんだろうけど、あんまりお勧めできる人生とも思えないし、だったらいっそ早めに絵筆を折って、もっと適性のあるほかの仕事に身を入れたほうがいいっていうことだって、きっとあるんだ。もちろん、そんなことは余計なお世話でしかないから、絵描きの学生さんたちをまえにしたとき、わたしはただ、モデルとしてしっかり仕事をしよう、としか思ってなかった。でも、特別に気になる人がいて、その人が絵描きだったりすると、余計なことを考えてしまったりもして……。ある意味で仕事上の関係ということだから、本当はきっちり線引きがないといけないところだったんだろうけど。
 わたしにとっては、美術品よりも人間の体そのもののほうがよかったんだ。男の人の硬くてごつごつした肋骨や腹筋もいいけど、女の人のやわらかくて張りのある胸やお尻もいい。きれいな絵描きさんがいると、わたしが裸になるんじゃなくて、この人の着ているものを全部脱がしてみたいなあって、そんな不謹慎なことを考えてしまうことはしょっちゅうあった。つき合うところまで行ったのは、男の人が三人。残念ながら絵の腕前が飛び抜けているという人はいなかったけど、好きになってつき合ううえでは、そんなことはあんまり関係なかった。むしろ絵にばかりのめり込まずに、わたしと一緒に過ごす時間を増やしてくれたらうれしいって思うくらいで。最初の二人とも、けっきょく絵はほどほどにして、サラリーマンになっていったな。そうなると、なんだか患者さんが元気になって退院していくのを見送る看護師さんになったみたいな感じがした。ほっとして、もう自分の役目は終えたっていうさばけた思い……、それで別れたようなものだな、二人とも。三人目……最後の一人は、ちょっと違ったけど……、まあ、死ななかっただけよかったんだ。
 最後の一人は、夜中に泥酔してマンションのベランダから落っこちて、入院して、それから故郷に帰っちゃった。見舞いに行ったときの彼の言い分がまた馬鹿げていてね、干そうとしたわたしの黒いパンツが手からすべり落ちて、それをつかもうとして自分も一緒に落ちてしまったって。確かに、彼の部屋に下着を忘れていったことはあった。ちょうど新しいのを買った日に泊まって、脱いだのを置いていってしまったんだ。それを洗ってくれたのはありがたいと言ってもいいし、ベランダから落っことしたというのも本当だったみたいなんだけど、どうしてわたし、パンツの話なんてしてるんだろう。まあ、いいか。
 その彼、俊介っていうんだけど、まじめな子ではあったんだ。二年浪人して美術系の大学に入って、いつも絵のことばかり考えていて、夢中になるとコーヒーだけ飲んで丸一日食事も摂らずにカンバスに向かっていたりしてね、あばら骨の浮き出た痩せっぽちの体をしていた。わたしがときどきそとへ連れ出さないと、絵筆を持ったまま飢え死にするんじゃないかっていうくらいの打ち込みようだった。それが、卒業後の進路を考える時期になって、絵ばっかり描いてたって飯は食えない、就職しなくちゃ、ってことになって脳味噌のふだん使い慣れない部分ばかり集中的に働かせたせいか、オーバーヒートしてヒューズが切れたみたいになってしまったんだと思う。それで、パンツ事件が起こったんだ。
 いつもお酒なんてほとんど飲まない人だったのに、急に飲みだすようになって、わざわざ泥酔しているときにベランダに洗濯物を干しに行くなんて……。きっと、死のうと思っていましたって言うのが恥ずかしいから、恋人のパンツをつかみそこねてうっかり転落したかのような装いをしたかったんだと思う。そういう妙な恥ずかしがりかたをする人だったんだ。でも、ベランダから落っこちたって言ったって、俊介の部屋は四階だった。そのくらいの高さじゃ、なかなか死ぬものじゃないんだよ。しかも庭の植え込みに引っかかって衝撃が弱まったものだから、それほどひどい怪我でもなかった。ある意味で、俊介は意気地なしだった。でも、そのおかげで生き延びたんだから、意気地がなくてよかったんだ。
 けっきょく俊介は学校を辞めて、徳島の親元に帰っちゃった。俊介が言うには、自分一人のことさえきちんとできない人間になってしまったから、まず故郷で休養して、ゼロからやり直したいんだって。それで、わたしたち別れることになった。徳島って阿波おどりの本場でしょう? わたしもダンサーのはしくれだから、俊介が徳島で就職して向こうで一緒に暮らすことになってもけっこううまくやっていけるんじゃないかって、そんな気楽なことを考えていた時期もあった。だけどそういうわたしの気持ちが、俊介には重荷になっていたのかもしれない。それで、解放してあげなきゃいけないんだなって、納得したんだ。わたし、絵描きの卵を抱くと、かわいがってるつもりでつぶしてしまうような人間なんだって思えて、モデルの仕事は辞めることにした。もっと早くに、俊介に出会うまえに気づくべきだったのかもしれないけど。
 気持ちに区切りをつけるために、むしろ俊介を嫌いになることができたらいいのかもしれないと思って、彼の欠点を心のなかで数え上げてみたりもした。気が弱くて人見知りが激しいところ、一つのことに没頭して周りが見えなくなるところ、自分で自分を否定してしまうところ……、そうやって数えていくと、そういうところがわたしは好きだったんだって思えて、逆効果だったな。それでも、ベリーダンスのほうに力を入れたり、温泉めぐりをしたりして、気持ちを切り替えたつもりだった。ただ、あるときふと、俊介みたいに高いところから落っこちるっていうのはどういうことなんだろうって、気になってインターネットで情報を調べだしたんだ。一人暮らしのワンルームで誰にも会わずにひたすら調べつづけているうちに、いつのまにか、命を終わらせるいろんな方法に目が行っていて、それを実践したがっている気持ちが自分のなかで日増しにふくらみつつあるのが感じられて、そんなのは自分でも馬鹿げてるって思いながら、わたしこそ消えたい、自分を消してしまいたいって……、でも不健康を徹底することはできなかった。体のなかに渦巻いているエネルギーみたいなものが、そんな状態をいつまでも許さなかったんだ。
 わたしの手元に、俊介が描いて贈ってくれた絵があった。わたしの名前と同じく「千夜子ちやこ」っていう題の油絵なんだけど、ふと思い立って、クローゼットにしまってあったのを引っ張りだしてきた。薄緑色の背景に、けだるく横たわった女の姿が、小ぶりのカンバスにえがかれていた。自分を消す代わりにこの絵を燃やそう、って思ったんだ。背景は、俊介の部屋の畳の色のようでもあったし、この世界のどこにもない空間のようでもあった。絵のなかの女は、紺色の地に真っ赤なハイビスカスの花柄があしらわれたワンピースを着ていて、なんだか燃やすまえから燃えているような、赤みを帯びた肌をしていた。
 これを、どこでどうやって燃やせばいいのか……とぐずぐず迷っているのも耐えられなくなって、あれは夜中の三時過ぎだったな、新聞紙に絵をくるんでガムテープで閉じてから、燃えるゴミの詰まったポリ袋のなかに突っ込んで、そのまま収集所に出してきてしまった。俊介と一緒に過ごしてきた千夜子は、これで処分されるんだ……。ベッドのうえに身を投げ出して、朝まで一睡もできなかった。
 清掃車のエンジン音がマンションへ近づいてきて、ゴミ袋を積み込んでいく音が聞こえだした。ゴミ袋のなかの千夜子が鉄の回転板に押され、荷箱のなかへと詰め込まれていく。カンバスの木枠がへし折られて千夜子が悲鳴をあげる。もっと苦しめばいい。これからおまえはわたしに代わって焼却場の炎のなかで燃え尽きていくんだ。焼かれながら、踊るがいい。わたしはタオルケットに頭まですっぽりとくるまって身じろぎもせず、息をひそめていた。清掃車の遠ざかっていったあと、なおも耳を澄ましていると、ささやかに鳴き交わす鳥の声が聞こえてきた。


単行本 : 『こんとんの居場所』国書刊行会、二〇二三年四月
*表題作のほか、小説「白い霧」を収録。
[単行本の詳細]https://www.kokusho.co.jp/…
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こんとんの居場所(冒頭)
 作中作から掌篇三篇
 ✿ ハイビスカス 千夜子の話
 ✿ ラフレシア 園田先生の話
 ✿ サフラン 純一の話

掲載誌 : 『小説トリッパー』二〇二〇年秋号(九月十八日発売)
[掲載誌の詳細]https://publications.asahi.com/…

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