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2011年1月28日の記事

台北に散る真っ赤な桜

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110127モンガに散る

 シネマート六本木にて、台湾映画『モンガに散る』を観た。
 一九八〇年代の台北の繁華街モンガを舞台にした、青春ヤクザ映画とでもいうべき作品。気弱そうな主人公の高校生・モスキートが、不良集団に迎え入れられて義兄弟の契りを交わし、ヤクザ組織の末端で、生彩あるチンピラ暮らしの日々を重ねる。序盤では、狭い街なかでの大勢入り乱れての乱闘騒ぎなど、コミカルで活気に満ちた場面が続く。モンガでは、主に二つの組織が争ったり手を結んだりして均衡状態を築いていたが、そこに大陸者の勢力が割って入り、均衡が崩れる。五人の義兄弟集団のなかでもっとも信義に厚いかに見えたモンクの裏切りにより、ヤクザ組織の親分が殺され、義兄弟たちも互いに殺し合うまでの惨劇に立ち至る。
 モスキートは、義兄弟の絆のなかに自分の居場所を見いだし、たくましさを身につけてゆき、絆を守るために裏切り者と闘うことになる。そして、裏切ったモンクのなかにも絆の片鱗が残っていたことに気づきながら死んでゆく。死に顔に浮かんだ微笑には、絆は守られた、という安堵が現れていたのだろう。しかし、モスキートやモンクの死によって、信義で結ばれた義兄弟の絆は、守られたと同時に取り返しのつかない形で消え失せてしまった。絆というのは、モスキートと娼婦シャオニンとの半プラトニックな関係にもいえることだ。人と人とが無条件に信頼し合う結びつき、そんな絆というものが、命を賭しても守りたいものであるとともに、もとから幻想であったかのように脆いものでもあるというところに、哀切なものがあった。
 父の形見としてモスキートの部屋に貼られているのが「富士山と赤い桜」の絵ハガキだったり、ヤクザの親分の名前が「ゲタ親分」(原文でも「Geta老大」とあり、Getaはおそらく外来語としての「下駄」なのだろう)だったりするところには、日本のヤクザ映画へのオマージュが埋め込まれているようにも感じられた。日本人にとって桜の色といえば、ソメイヨシノの白に近い薄ピンクということになるけれども、モスキートたち義兄弟が実物を見たことがないという桜、絵ハガキに出てきてエンディングロールでも散ってゆく桜が、血しぶきのような深紅であったのは鮮烈だった。
 モスキートを演じるマーク・チャオ(趙又廷)の眉の太い純情青年ぶりもよかったし、モンクを演じるイーサン・ルアン(阮經天)の坊主頭の精悍さもまたよかった。監督は、ニウ・チェンザー(鈕承澤)




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