見世物小屋の蛇女
本日、見世物小屋を見物。
新宿・花園神社では、十一月の酉の日(今年は二回)に酉の市の祭りがあり、きょうがその一回目。鳥居をくぐり、賑々しい屋台の並ぶ参道を歩くと、すぐに見世物小屋の呼び込みの声が聞こえてきた(写真左)。蛇女がいるというので、これは黙って通りすぎるわけにはいかないと足を止める。お代は出るときに払えばいいというから、するするっと幕をくぐってさっそくテントのなかへ(写真中)。
さて、蛇女とはどういうものか。頭が女でしっぽが蛇か、それとも頭が蛇でしっぽが女か。どっちにしても得体がしれない。
実際に現れた蛇女はといえば、赤いべべ着て顔を白く化粧し、爬虫類めいたひんやりとした美しさをたたえた年若い女性。胸元にかけた前かけには薄茶色のしぶきの跡が。手にしているのは首のもげた小ぶりの蛇。それが本物の蛇であることを知らしめるために、司会役のだみ声の女性が手前の観客たちに触らせてから、蛇女の手に戻す。蛇女、この首なし蛇を自分の顔のまえにぶら下げたかと思うと、ジャキッと爽快な音を立てて一口食いちぎった。蛇女は蛇女でも、食べるほうの蛇女。おそらく、この日最初に食いちぎったときには真っ赤な鮮血が飛び散って、それが前かけに薄茶色のしみとなって残っていたのだろう。
それから、老婆がちり紙につけた炎を飲み込んだり、犬がハードル越えをしたり、双頭の仔牛のミイラや、一度に鶏を七羽食べるという大蛇(その場で食べて見せたわけではない)が出てきたりと、素敵な演目が続いた。年若い蛇女は、鼻から入れた鎖を口から出して見せるという驚愕の離れ業をも披露してくれた。
この蛇女嬢、出番でないときには舞台のしたに立っていて、その様子がときおり僕の視界に入った。陶磁器のように無機的にすました表情を保っていたかと思うと、ふと顔の内側から人間らしい笑みが押し出されかけ、それを飲み込むようにまた無機的な表情に戻る、その移ろいがまた趣深かった。当人は終始無言だったが、司会役の女性のだみ声が言うところによれば、二年まえに初代蛇女の老婆の技芸に惹かれて入門し、二代目蛇女となって見世物小屋を廃業の瀬戸際から救ってくれたものらしい。年齢はいまだ二十一歳。これから数十年かけて芸と妖艶さにますます磨きをかけていってくれたら素晴らしい。
お代を払ってテントをあとに(写真右)。「ここに日本人のふるさとがある」という惹句も伊達ではない。ちなみに今年二回目の酉の市は、今月二十三日。お時間と好奇心のおありのかたは、お立ち寄りあれ。
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【追記】
当記事の筆者の本を、ついでにご紹介。どこかしら見世物小屋的なところのある小説を収めています。
「渾沌島取材記者」を募集する三行広告にいざなわれ、青年は旅立った。旅路の果てに、青年はいかなる場所にたどり着くのか。「いいんだよ、これで。なくなったんじゃなくて、変化しただけ」
『こんとんの居場所』(山野辺太郎著、国書刊行会、2023年4月) |