『冬物語』観劇。
冒頭、劇はシチリア王レオンティーズが妻ハーマイオニの不貞を疑うところから始まる。不義密通の相手と目されるのは、レオンティーズの幼なじみ、ポリクシニーズ。彼と妻との親しげな様子から、レオンティーズは無実の妻に対する邪推に取りつかれる。これが、以後展開する事件の発端となる。
この冒頭の場面にどうリアリティを持たせ、説得力を付与するかは、匙加減の難しそうなところだ。レオンティーズの人物像として、嫉妬深さや思い込みの激しさを際立たせるか。それとも、ハーマイオニの人物像として、貞淑であるにもかかわらず妙ななまめかしさを漂わせてしまうような二面性を打ち出すか。今回の上演は、前者の方向性に近い感じだが、観ていてのっけから主人公の狂気の渦に引き込まれるというよりも、唐沢寿明演じるレオンティーズの狂気が、じわじわと明らかになって迫ってくるような感じを受けた。田中裕子演じるハーマイオニは、あくまで清楚に気品を保っていた。あるいは、彼女が観客にさえ疑惑をいだかせるほどのなまめかしさを振り撒いてしまうということがあってもおもしろかったと思う。
細部では、子役の上半身がすっぽり収まるナンセンスすれすれの魚のかぶりものに惹かれた。人物では、長谷川博己演じるフロリゼルの颯爽とした熱情に魅せられるものがあった。
シェイクスピア原作、蜷川幸雄演出。さいたま芸術劇場にて。
シェイクスピア・作『から騒ぎ』観劇。
この劇、「心」と「言葉」を切り離してモンタージュする実験としての一面がありそうだ、と受け止めながら僕は観ていた。
「心」で感じたことや思ったことが「言葉」となって出てくる、というのは一見あたりまえのようなことである。たとえば、「好き」と感じる心によって、「好き」という言葉が口からこぼれる。このとき、心のほうが主体であって、言葉というのは心が押し出すボールのようなものだ。
けれどもこの劇を観ていると、本当は言葉のほうが主体であって、心というのは言葉によってあっちこっちへ突き動かされている頼りない存在に過ぎないように感じられてくる。
この劇では、「心の持ち主」と「言葉の使い手」とが切り離された状況が何通りか描かれる。つまり、「自分が思ったことを自分自身が言う」のではなくて、「自分が思ったことを他人が代わりに言う」とか、「自分が思ってもいないことを他人が代わりに言う」といった状況だ。
たとえば、クローディオはヒアローに恋をしているのだが、内気なクローディオ自身に成り代わってドン・ペドロが仮面舞踏会の場で恋の告白をおこない、ヒアローの心をとらえることに成功する。あるいは、ベネディックとビアトリスは、会えば互いに辛辣な皮肉を言い合う間柄で、どちらも恋愛や結婚には興味がないと公言しているのに、まわりの連中が二人を結びつけようと画策し、それぞれに相手から好かれていると思い込ませるような噂を流すことで二人の気持ちを動かし、実際に結びつけてしまう。もう一つ、クローディオとヒアローの関係を破綻させる陰謀を企てたアントーニオが、ヒアローの心を疑わせるようなデマをクローディオに信じ込ませ、仲を引き裂くということも起こる。いずれも、相手の心を動かしているのは、「心の持ち主」当人ではなく「言葉の使い手」の発する言葉だ。
言葉には、実際の心情よりも大きなものを人に伝えたり、もともと存在しなかった心情をさえ人に伝えたりする力がある。そんな言葉の力の強さや恐ろしさ、あるいはそれに翻弄される人間の心の滑稽さや愛らしさを照らし出したのが、この劇ではないだろうか。
女性役も含めて男優のみで演じるオールメールキャストの舞台。長谷川博己演じるクローディオには、線の細い美貌の青年らしい華を感じさせるものがあった。チョイ役の夜警を演じる井手らっきょも、とぼけたいい味を滲み出していた。
演出・蜷川幸雄。キャストは、ベネディック役・小出恵介、ビアトリス役・高橋一生、ヒアロー役・月川悠貴、ドン・ペドロ役・吉田鋼太郎、ヒアローの父レオナート役・瑳川哲朗、アントーニオ役・手塚秀彰など。さいたま芸術劇場にて。
北野武監督『アキレスと亀』は、人生のすべてを芸術上の成功という一点に張った、ある男の賭けの映画だ。最後まで見て初めて真価がわかる映画だという点で、監督にとってもこれは危うい賭けの一作だったのではないか、と僕は感じた。
映画は、少年期に絵をかくことに目覚めた男(真知寿)が、画家の卵のまま世に認められることなく青年期を経て壮年期を生きていくさまを追っている。この男の人生の基調をなすのは、真摯だが決して深みを帯びることのない、哀切な表層感といったものだ。誤解のないようにつけ加えておくと、深みを描き出すことに失敗しているということではなく、深みに至りえない人生というものの悲哀を描き出すことに見事に成功している、ということだ。
裕福な暮らしから一転して一家の没落に直面する少年期の展開は、不幸な生い立ちの定型をわざとわかりやすくなぞって見せるかのようだ(にもかかわらず、というべきか、少年役の役者は気品があって美しく、静かに存在感を示していた)。
青年期に入ると、男は、芸術家気分に浮かれた美術学校の仲間たちの乱痴気騒ぎのなかにぼんやりと突っ立つ一方で、画商のいい加減なアドバイスに従って画風を次々に変えていく。周囲の状況に流されるままのようにも見える男だが、絵をかきつづけることへの思いだけは一途で途切れることがない。
結婚し、壮年期になっても男は相変わらず気まぐれな画商の言いなりになり、妻の協力をあおいで過激な実験アートの真似事のようなことをして警察沙汰になったりしている。妻には愛想を尽かされて去られ、男は死を決意する。芸術に殉じようとするかのように、藁を積んだ納屋に火をつけ、そのなかで絵をかきながら燃え尽きようとするが、救急車で運び出され、包帯でぐるぐる巻きにされて退院させられてしまう。悲劇の芸術家のような死にかたさえ、この男には許されていない。
包帯ぐるぐる巻きのまま、男はバザーの片隅に座り、錆びて半分腐蝕したコーラの空き缶を置いて、二十万円の値札を掲げている。これは、芸術に翻弄される人生を歩んだ男の、ささやかな抵抗の意思表示だろう。芸術の値打ちというものを、誰が正しく決めることができるのか。この腐りかけのコーラの空き缶だって、二十万円で売る人がいて、もし買う人がいれば、それだけの値打ちがあるということになるんだろう、と。
そこへ、「この空き缶、買うわ」と声をかける女が現れる。かつて男のもとを去っていた、妻だ。「さ、帰りましょ」と促され、男は妻と二人で歩いていく。ここまで芸術に賭けてきた紙屑同然の人生すべてと引き換えに、男が得たのは、ただ一人の女の愛だった。妻の出現で、この男の人生が、この映画が、丸ごと救済される――。そんな感触をもたらす締めくくりの一場面が、素晴らしかった。
宮崎駿監督が激怒している姿を僕が見たのは、北京オリンピックが始まる数日前のことだった。
その日、届いたばかりの液晶デジタルテレビを設置して、映り具合を確かめていたら、たまたま『崖の上のポニョ』制作中の宮崎監督を追ったドキュメンタリー番組がやっていた。そこで宮崎監督が怒っている様子を横長の高画質でじっくりと見つめることになったのだ。
あるアニメーターが描いて持ってきた下絵にカモメが飛んでいたのだが、そのカモメの描きかたに宮崎監督は不満があるようだった。どういう言葉づかいで怒りを表していたか、つぶさには思い出せないが、僕なりに再現してみると、こういうことだった。「このカモメは、なんとなくそれらしく見えるだけで、ちっとも正確じゃない。だいたいこんなところだろう、じゃ駄目なんだ。いい加減にやっているんじゃないのか」と。また、「実物を見られなくとも、せめて本で得た知識でもいいから、正確に描こうというつもりでやってくれ」とたしなめてもいた。
正確、という言葉を宮崎監督が使っていたかどうかは定かでない。リアルという言葉か、もっと別の言葉であったかもしれない。このように、そもそも僕の記憶が不正確であるということも問題なのだが、それはさておき、宮崎監督が言っていた、正確に表現するということに関する戒めは、心に重く響くところがあった。
宮崎監督が求めていた正確さとは、写実的であるとか、写真のようにそっくりであるといったことでは、もちろんない。『崖の上のポニョ』の絵は、写真のような精密さからはほど遠い、大らかでシンプルな画風だ。
対象を写真のように描こうとすれば一万本の線が必要になるところを、十本の線だけで描く、といったことが必要とされていたのに違いない。ここで肝心なのは、その十本の線をいかに見つけ出すか、ということではないか。それは対象の特徴を表すために必要な線であり、現実そっくりであるより、適切なデフォルメがなされるべきものだろう。「デフォルメ」と「だいたいこんなところ」というのは違う。まず最初に対象の特徴を正確に掴むところから始めたのか、ということを宮崎監督は問いたかったのだろう。
これはアニメにばかり当てはまることではなく、創作的な表現に通底する問題だと思われる。たとえば文学でも、一万語を費やさずに十語で情景を描写するとして、その十語をいかに見つけ出すか、そのまえに対象の特徴を捉えることができているか、だいたいこんなところだろうで済ませていないか、といったことは問われなければならない。そんなことを僕は感じ、表現するということについて思いを新たにしたのだった。
前置きが長くなったが、先日、『崖の下のポニョ』を観た。あのカモメのシーンがどこで出てきたのか、とくに注意していなかったのでうっかり見過ごしてしまったが、描き出された世界は生き生きとして、魅力に満ちた作品に仕上がっていた。純愛とは、五歳の子供にのみ可能なものなのかもしれない。五歳児・宗介の言動は素朴だが妙にリアルに感じられた。ポニョという金魚のような女の子は生気に溢れていて、はちみつをスプーンで舐めて目が三色に輝くところとか、最後、人間になるために自分から宗介にキスする積極性など、素敵だった。
僕が最後に演劇の舞台に立ったのは小学校六年生のときである。
学芸会の演目が『走れメロス』に決まり、三つあったクラスから一人ずつ主役候補が選ばれた。体育館でオーディションめいたことが行なわれ、教師たちによる判定の結果、三人のうち二人が主役に決まり、前半のメロス役と後半のメロス役に分けられた。
もう一人はセリヌンティウス役でもディオニス役でもなく、「コール隊長」というものに任ぜられ、舞台の下に設置された段に並んだ合唱隊(コロス)のようなもののリーダー格として、「メロス、メロス、真の勇者メロスよ。いまここで動けなくなってどうするのだ」などと声援を送る役目を受け持つことになった。つまりはそれが僕であり、だから「舞台に立った」というのは正確ではなく、「舞台の下に設置された段に並んだ」というのが実態である。
オーディションで、僕の声がひときわ大きかったことが「コール隊長」に任命された理由らしい。主役をやりたくて大きな声を披露したつもりが裏目に出て、違う適性を見いだされてしまったわけである。いまではすっかり照れ性で声の小さな大人になってしまったが……。
前置きが長くなったが、渋谷のシアターコクーンで、松尾スズキ作・演出の芝居『女教師は二度抱かれた』を観た。その感想を書き留めておこうかと思ってパンフレットの配役表を眺めていたら、「天久六郎=市川染五郎」「山岸諒子=大竹しのぶ」(この両者は主役)などと並んでいるなかで、下のほうに「その他=赤池忠訓」とあるのを見つけ、役名が「その他」とはどんな役だよ、その他大勢ならともかく一人だけその他って……、と微笑んでしまった。たぶん、椅子かなんかを持って舞台上を横切っただけの人物ではないかと思うが定かではない。「その他」という活字を見ているうちに、冒頭に書いたような「コール隊長」の思い出がつい脳裏に甦ってきてしまったのである。
この芝居では、俳優養成学校の生徒役が「俺なんて、もらった役名が『雰囲気』だぜ。火事の炎の雰囲気を演じる役」などとぼやく場面があったりもして、「その他」的なわびしさが随所にちらついていた。
ヒロインである女教師(じょきょうし)の山岸諒子は、女優になる夢に挫折して零落した女であり、主役になれなかった役という主役、という妙なことになっている。山岸役の大竹しのぶは、不器用さのなかに色気と狂気を隠し持った女、という役どころがぴたりとはまり、熟達した女優の演技で女優になりそこねた女の存在感を示していた、というのも妙なことである。
全編通してギャグ満載で笑いに溢れた舞台だったが、主役の人生(新進劇作家・天久六郎や、歌舞伎役者・滝川栗乃介など)、端役の人生(雰囲気など)、舞台から転落した人生(女教師・山岸諒子など)と、それぞれの哀感が伏流していて味わい深くもあった。
『わが魂は輝く水なり』を観劇。源氏方の木曽義仲軍と平家方の斎藤実盛らの軍勢が争い、実盛が最期を遂げることになる北陸での戦いが、この劇の素材となっている。
平安末期に繰り広げられた東国の源氏、西国の平家の二大陣営の争乱は、一九八〇年にこの脚本を書いた劇作家・清水邦夫にとって、東側諸国と西側諸国の二大陣営が睨み合っていた二十世紀の世界の記憶とも呼応するものとして映っていたことだろう。ユートピアめいた木曽の森に対する実盛の憧れと嫉妬、理想社会を夢見て森へと走った実盛の息子たち、彼ら五郎と六郎が見た森の世界の狂気じみた現実。これは、革命の理想が若者たちを突き動かし、その帰結としての現実が若者たちに幻滅と挫折をもたらすに至る、かつての叛逆の時代への挽歌であるとも受け取れる。だが、舞台となる年代を、浅間山荘事件の一九七二年から篠原の戦いの一一八三年へと大胆に移したことで、時代の制約を超えた普遍性を獲得している。
若者たちが生き生きと駆け回っていた森の世界は、誰もが過ごした少年時代の無垢なる世界の記憶のようにも感じられる。しかし、そんな世界は遠い追想や憧憬のなかにあるだけで、誰もそんな少年時代を実際には過ごさなかったのかもしれない。
実盛は、錯誤と悟った理想にあえて殉じるべく、みずからの老いた容貌に若者の化粧を施し、討ち死に必至の戦いのなかに進んで身をさらけ出す。五郎の亡霊が、現実に取り殺されたのちに理想の精髄として純化されたかのように、無力に、美しく、父実盛のかたわらに最期のときまでつき従っているさまはいじらしい。
実盛役の野村萬斎や五郎役の尾上菊之助は、伝統芸能の土台もあってか、激情で押してくるよりも抑制のなかに凛々しさや気品のあるたたずまいで好演していた。巴役の秋山菜津子の威厳と狂気も、真に迫るものがあった。五郎のまとう装束に、男性的なものと女性的なものとを取り合わせたところも、人物像にふさわしいものだった。
演出・蜷川幸雄。渋谷のシアターコクーンにて。
新国立劇場にてオペラ『軍人たち』を観た。いや、オペラだから聴いたというべきか。それに、字幕もかなり読んだ。つまり、観たり聴いたり読んだり忙しかったのだが、とても楽しくうれしい忙しさだった。
B.A.ツィンマーマン作曲、若杉弘指揮、ウィリー・デッカー演出。十八世紀ドイツの劇作家J.M.R.レンツの戯曲を原作とするオペラで、この劇作家レンツこそ、僕の大学院生時代の研究対象だった。原作の戯曲『軍人たち』を、私的に翻訳したこともある。そんなこともあって、今回の公演にとりわけ興味を惹かれたのだった。
レンツは生前不遇であり、死後もマイナーな作家でありつづけている。作品も、完成度の高さよりは、ひずんだ世界像のまがまがしさやいかがわしさに特徴がある。そんな風変わりなものがオペラとなって、こうして日本で上演されるというのは大変めでたく、ありがたいことだ。
レンツの劇世界では、個人は社会や組織の網の目に固く組み込まれ、意志の声を上げるもかき消されて、徹底的に受動的に、網の動きに翻弄される。肉体に宿る混沌たる欲望の活力ですら、網の目から個人を解き放つには無力であり、ただ死をもってしか網から抜け出ることはできない。このような、ある種絶望的な世界観が根底にある。今回の舞台では、ときに水平となり垂直となり、またときに斜めになって登場人物を弄ぶかのような床や壁の動きが、社会や組織の無機的にして強圧的な力を示唆しているように感じられた。モノトーンの舞台のなかに、鮮烈な赤い衣装の軍人たちが、抑圧されいびつにされた欲望の大群のようにうごめているさまは、不気味で哀切だった。
無調音楽の混沌として切迫した響きも、劇世界と不思議なほどによく噛み合っていた。人の世の喧騒と不安と官能を粉々に砕いて音符として再構成したような、猥雑かつ壮大な音楽世界が広がっていた。
そんなこんなで舞台を堪能して帰路に就こうとしたら、大学・院時代の先輩夫妻にばったり出くわした。「ツィンマーマンのオペラというよりレンツの劇のほうに興味があって見に来たという観客は、十人くらいだろう」と、先輩(夫のほう)にからかわれる。飲み屋に場所を移してしばし歓談ののち、帰宅。
渋谷のライズXで、『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』(ジェシカ・ユー監督)を観た。生前まったくの無名に終わった風変わりな人物の生涯を追ったドキュメンタリー映画。
ヘンリー・ダーガーは、掃除や皿洗いなどを生業とし、引きこもりがちで周囲の住人からはただ変人と見られながら、半世紀以上にわたって誰にも見せずに挿し絵の入った物語を書き続けたという。その物語は『非現実の王国で』といい、キリスト教徒の国と悪の国との果てしない戦いのなかで「子供奴隷」出身の七人の少女たちが活躍する話であった。映画から窺い知られるかぎりでは、子供が夜ごとに飽かず思い浮かべる夢想世界のように、似た場面が何度も繰り返される単調なもので、他者に開示することはまったく想定されていない、もっぱら本人のための物語だったようだ。
彼はまた、この物語の挿し絵も含め、膨大な絵を遺している。新聞や雑誌などの切り抜きで少女の写真やイラストを集め、それをトレースしたり模倣したりして絵の世界に取り込んでいったようだ。二次元的ともいえる立体感のない画風で、少女たちの顔は可憐だが抜け殻めいて表情に乏しく、彼女らの幼い肢体には、男子固有であるはずの突起が生えていたりする。子供たちと大人たちの戦乱の様相が執拗にえがかれていて、なかには子供たちが首を絞められたり内臓をえぐり出されたりしている場面もある。グロテスクにして少女趣味的、ポップにして宗教的な、独特の絵画世界が広がっている。
死後数十年経っており、数枚の写真しか残っていないという生前無名の芸術家の一生を、この映画では再現映像を使わずに撮り上げている。画面はおおむね、彼の描いた絵の世界と、彼の晩年の隣人たちが証言をしている様子と、時代を映す記録映像とから成る。彼の実人生と、彼の作り出した世界とが渾然と混ざり合いながら映画は進んでいくが、まさに彼の作り出した世界こそが彼の実人生の大きな部分だったのだから、しかるべくして採られた手法といえる。
ヘンリー・ダーガーは、両親、とくに母を早くに亡くし、諸々の施設を転々とさせられるなかで、強制労働にも近い辛酸を舐めて育ったという。のちに彼が尽きることなくえがき出していった物語や絵画の世界には、子供時代への回顧的感情に根ざしたところなどなかったに違いない。彼は現実には一度も踏みしめることのなかった子供の王国に、想像の世界で初めて入国を許され、獰悪な大人たちの猛威に常にさらされながら、その壊れやすい王国を守るために、孤独な防戦を続けていたのだろう。
芸術家を被写体にしたドキュメンタリー映画『≒草間彌生 わたし大好き』を観た。
飾り気のない映画のつくりで、「素材」のよさが際立っていた。土のついた取れたてのニンジンを丸かじりしてみたら甘かった、といった感触。おどろおどろしくもある外見とは裏腹に、淡々として、かわいらしく、気配りのある彼女の人となりがにじみ出ていて好ましかった。
インタビュアーでもある松本貴子監督の問いかけがどこか素人くさく、ときに不用意で、それがかえってくつろいだ雰囲気やユーモラスな味わいを醸し出していた。「晩年にすごい作品が描けたなと思いますか」(引用は記憶頼りで若干不正確)と尋ねたときには、「晩年」ってそりゃ失礼だろう! と思いつつ観ていたら、「わたし、晩年なの?」と草間が不思議そうに訊き返し、「そうね、あと五年くらいしたら晩年ね」と穏やかに自答していた。
草間は絵を描き、えがき出された世界をまえに「すてき……」とつぶやく。映画のタイトルにもなっている「わたし大好き」ぶりを彼女は常に隠そうとしないのだが、どこか自己を愛することがそのまま世界を愛することに通じているような風通しのよさがある。彼女の絵には無数の水玉や目玉が描かれ、絵の世界を見る者をじっと見つめ返してくる。
渋谷のライズXにて。
見終わってもりもりと力が湧いてくるような舞台だった。老人の冒険と成長の劇。これが少年や青年だったら、物語のなかで冒険をして成長するというのは常套だけれども、老人にしてなお冒険と成長があるというのは稀なことではないだろうか。蜷川幸雄はシェイクスピアの傑作『リア王』をそのような劇として演出して見せてくれた。
老王として身にまとっていた富も名声も権力もあらかた引きはがされて、ただむき出しの人間そのものとして荒野をさまようリア。とさか頭の「阿呆」や半裸体の「気狂い乞食」らに取り囲まれて、リア自身がそれらの者と対等になっていく。彼らが嵐の晩の納屋で正気と狂気のあいだを縫って交わすやり取りの場面は、悲惨ではあっても陰惨ではなく、妙に生き生きとした精彩に富む。リアは八十を過ぎて遍歴の旅路に投げ込まれ、人間について学び、視野を大きく広げていく。だから、彼が息絶えたことも、非業の死というよりは、なすべきことをなし遂げて、去るべきときに世を去った、充実した生の終焉だったのだと感じられた。
老いてもこれだけの冒険と成長の日々がありうるのなら、老人になるのもまんざらではない。ましてリアに比べて相当若輩である自分などが、虚無や倦怠にかまけてしおれている場合ではないのではないか。そんな励ましを受ける、不思議な悲劇の舞台だった。
リア役の平幹二朗が老人の頑迷さと純真さを、グロスター伯役の吉田鋼太郎が壮年の愚直さと力強さを、エドガー役の高橋洋が青年の繊細さと勇敢さを好演していた。エドマンド役で悪の魅力を演じきった池内博之の精悍さも、闇のなかでよく映えていた。
さいたま芸術劇場にて。