共同通信の文芸時評「いま、文学の場所へ」(2月)にて、『大観音の傾き』が取り上げられました。2月下旬から3月上旬ごろ、各地方紙に掲載されたようです。掲載紙の一つ、『山陰中央新報』3月5日付朝刊より、一部を引用にてご紹介します。
人が、ほんとうにつらい時に必要とするのは、笑いかもしれない。作中、大観音のつぶやきとおぼしき東北弁のぼやきが挟まれ、人間社会が被る災厄への自身の無力さをも語る。とぼけた語り、どこかおっとりした出来事がもたらすほほ笑みをもって、本作は震災後を生きる人々へのエールとなる。
いま、文学の場所へ 2月 〈文・渡邊英理 絵・原倫子〉 痛み伴う言葉の葛藤 沖縄取り巻く「叫び声」(山陰中央新報)
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ほか、次の新聞のサイトにも掲載されています。
▽沖縄タイムス(3月4日)
▽静岡新聞(2月25日)
『北海道新聞』2025年3月30日付朝刊の「トヨザキ社長の鮭児書店」にて、『大観音の傾き』が取り上げられました。ご執筆は豊﨑由美さんです。見出しは、〈非当事者が紡ぐ「3・11」/山野辺太郎「大観音の傾き」/慎みと覚悟 出色の震災後小説〉。
一部を引用にてご紹介します。
日本からブラジルまで穴を掘って一直線に結ぶという奇想が、一種異様な迫力と脱力をもって読者ににじり寄ってくるデビュー作で大笑いさせてくれた山野辺太郎は、この小説の最後に「大観音ミーツ牛久大仏」という大ネタを用意して泣き笑いさせてくれます。これは、 あれから14年を経て登場した非当事者による出色の震災後小説なのです。
〈トヨザキ社長の鮭児書店〉非当事者が紡ぐ「3・11」(北海道新聞)
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『毎日新聞』2月11日付朝刊文化面の「気鋭に迫る」コーナーに、インタビュー記事が掲載されました。『大観音の傾き』のことを中心にお話ししています。記事の見出しは「言葉の力で世界を広げる」。ご執筆は同紙記者の関雄輔さんです。
一部を引用にてご紹介します。
日本各地に立つ巨大仏。その目に、我々人間の営みはどう映っているのだろう。
作家の山野辺太郎さん(49)は新著『大観音の傾き』(中央公論新社)で、仙台市郊外にそびえる「仙台大観音」を主人公の一人に据えた。仙台弁でつづられる大観音の心の声と、その足もとで繰り広げられる人々の物語。地上を見下ろす大観音のまなざしが、読者の想像力を解き放つ。
(中略)
「小説は言葉を紡ぐ営みですが、言葉にできないものは絶対に残る。でも、そういうものがあると暗示するところまでは、言葉でできるのではないでしょうか」
(中略)時に窮屈な会社員としての日々。そこで芽生えた「小説の中では遠くに行きたい」という思いが、「制約された日常」と「想像力を広げるためのホラ話」を交錯させる作風へと山野辺さんを導いた。
「言葉を通して、自分の目に見える世界を少しでも広げたい」と創作への思いを語る。「それが読者にとっても、自分のいる場所の見え方が変わったり、新たな視野が開けたりするきっかけになればうれしいですね」
気鋭に迫る 言葉の力で世界を広げる 作家 山野辺太郎さん(毎日新聞)
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『週刊新潮』2月13日号(2月6日発売)の「Bookwormの読書万巻」コーナーに、『いつか深い穴に落ちるまで』(角川文庫)の書評が載りました。評者は豊﨑由美さんです。
一部を引用にてご紹介します。
読み手のぬるい常識のすべてを振り切って、物語という土壌を掘って掘って掘りまくる。そしてついに世にも奇妙な、世にも面白おかしき世界を顕現させる。呆れ返りつつも、その力業に感心させられるはずだ。
【追記】
下記ページにて全文が公開されました。
ぬるい常識を振り切ったその力技に感心させられる〈発想ぶっ飛び型小説〉!(Book Bang)
『日経新聞』1月30日付夕刊文化面「目利きが選ぶ3冊」のコーナーに、『大観音の傾き』の書評が掲載されました。評者は陣野俊史さんです。
一部を引用にてご紹介します。
最初、ユーモア小説かと思っていた。つい笑ってしまう箇所が幾つもある。だが、この小説は震災後小説である。(中略)
大観音の言葉が、読む者の心に沁みる。
『大観音の傾き』山野辺太郎著 陣野俊史氏が選ぶ一冊 「助けられなかった」震災後(日本経済新聞)
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また、代官山T-SITEのウェブでの連載「文学コンシェルジュとっておきの一冊 間室道子の本棚」にて、『大観音の傾き』が取り上げられました。執筆者は、代官山蔦屋書店の間室道子さんです。
こちらも一部を引用にてご紹介します。
作者の山野辺太郎さんは職場の新人男性を書くのがうまい。よくあるはりきりボーイや「令和男子です、仕事に未来を求めてません」じゃないのがいい。滅私ではなくひたむきで、職務遂行に疑いを持たないが言われたことを鵜呑みにもしない。この距離感がすがすがしい。そして青年主人公たちは、まじめな顔でトンデモ仕事に向きあうのである!
(中略)
山野辺作品お得意の無茶やおとぼけもあり、呆れたり吹き出したりしながら、われわれは修司と観音様に気持ちを通わせる。御身に最大のピンチが訪れた時、救うのは誰か。乞うご期待!
下記のサイトにて全文が公開されています。
【第306回】間室道子の本棚 『大観音の傾き』山野辺太郎/中央公論新社(代官山T-SITE)
『週刊新潮』1月16日号(1月8日発売)の「Bookwormの読書万巻」コーナーに、『大観音の傾き』の書評が載りました。評者は豊﨑由美さんです。
一部を引用にてご紹介します。
転勤族の親のもと日本各地を転々としてきた修司は、この街の人たちが経験した悲劇の当事者ではない。そのことの後ろめたさと慎みを体現する修司が、大勢の住民や関係者から話を聴き、じょじょに大観音に気持ちを傾けるようになる本筋に挿入されるのが、なんと大観音の心の声なのである。
(中略)これは非当事者による出色の震災小説にして、終盤の感動を呼ぶ仙台大観音ミーツ牛久大仏というバディ小説でもあるのだ。
【追記】
下記のサイトで全文が公開されました。
大きいだけで役立たず……。悟りの境地に至れない「大観音に涙する」(Book Bang)